理不尽な練習や慣習を正当化させるための“言い分”とは?
松坂 そういう世界でトップに立てる人というのは、それを過剰とすら感じない才能の持ち主でもあると思うんです。だから、その人たちを模倣しようとすると、おそらく大多数の人間が適応できないのではないでしょうか。昔、理不尽な練習や慣習を正当化させるために「社会に出たら理不尽なことばかりだ。だから、今のうちに慣れておいた方がいいんだ」みたいな言い方をしましたよね。
中村 いや、その論理は今もありますよ。「社会に出たら理不尽なことばっかりだぞ。こんなことに耐えられなくてどうすんだ」みたいな。「そうですよね、中村さん」と振られたら、「本当にそうだよ」と言ってしまいそうです。
松坂 でも、あれもごく限られた適応者の言い分だと思いませんか。やはりおかしいことはその都度、正していかないと、ものすごく偏った世界になっていってしまうと思うんです。それを生存者バイアスという言い方をすることがありますよね。生存者や成功者だけのメソッドを指針としてしまうと、全体としては誤った方向に行きがちになる。
中村 先輩後輩の理不尽な上下関係を肯定するときにもありがちな思考回路ですよね。俺は高校時代、あれに耐えられたから、プロでもがんばれたみたいな。
松坂 でも、イコール正しいという論法には無理があります。そのがんばりを引き出すもっと合理的で、もっと多くの人に効果がある方法があるはずじゃないですか。
中村 1つの成功体験は、本人にとっては、それくらい深い刻印になってしまうものなのかもしれませんよね。