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 その日は近所の病院で検査を受け、大きな病院で診てもらったほうがいいということだったが、ちょうど夏休み期間で、数日後に子どもたちを連れて沖縄に帰省する予定だったこともあり、看護師のお姉さんが勤めている病院で再検査を受けることになった。結果がわかるのは、少し先とのこと。

僕はそれを見た瞬間、青ざめた

 僕は仕事の兼ね合いで遅れて沖縄に合流し、東京に戻る空港へのタクシーのなかでえーりーとふたりになり、診断書を見せられた。彼女はよくわかっていないようだったが、僕はそれを見た瞬間、青ざめた。

 文字でわかる。

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 親父のときと一緒だ。

 これは、がんということだろう、と。

 子宮頸がんだった。

 他人事みたいな顔をしているえーりー。

 僕はいらついて、つい言ってしまった。

撮影 榎本麻美/文藝春秋

「これ、がんじゃんかよ。お医者さんになんて言われてんだよ!」

 目の前を、いろんな景色がフラッシュバックした。

 東京に戻り、診断書を持って大きな病院へ行くと、すぐに手術することになった。

「絶対に治る方法でお願いします」

 僕は医師に懇願し、あらゆる方法を探った結果、子宮を全摘出することになった。えーりーからするとショックだったかもしれないけれど、変な話、すでに子どもを3人産んだわけだし、えーりーの命のほうが大事だと思った。

 とにかく。早期に見つかってよかった。

 僕もえーりーも、これで治るだろうと思った。

 少なくとも僕は、祈るようにそう信じていた。

 その後、えーりーのいちばん上のお姉さんが沖縄から東京に戻ってきて、僕たちと一緒に住むようになった。

 結婚前、えーりーと西小山でふたり暮らしをしていたお姉さん。

 えーりーの手術はうまくいったが、念には念をということで、抗がん剤治療が始まり、家事、子育て、えーりーの身の回りの世話などを、お姉さんが手伝ってくれることになったのだった。

 お姉さんには、いまでも頭が上がらない。