翌年の夏、家族みんなで沖縄に行って、プールで泳げるくらいには元気になったえーりー。「おなかの傷が隠れる水着を買わなきゃ」とうれしそうに話しているようすに、僕もすっかり安心していた。

 ところが。

 定期検診で、小さな影が見つかった。

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 ちょっと思い出すのがつらい。

 軽い手術のあと、再び抗がん剤治療を始め、髪の毛を剃り、かつらをかぶって、病院から家に戻ってきて。

 何回入退院を繰り返したのだろうか。

 僕の記憶も、もう朧げだ。

 だめだ。混乱している。

 僕は思った。

 ずっとついていてあげたい。 だけど、「賛否両論」が猛烈に忙しくなってきた時期で、仕事を休むわけにはいかなかった。

撮影 榎本麻美/文藝春秋

 初めのころは、「病院のごはんはおいしくないから何か買ってきて」と言っていたえーりーも、入院生活が長くなるにつれて、食べる量が減っていき、見た目にも痩せていった。お袋と親父を見てきた僕は、なんとなくこれはよくないと感じたていたが、えーりーや子どもたちには、精一杯ふつうの生活を送らせてやりたいと思った。

仕事なんて、しなきゃよかった

 ある日、えーりーは子どもたちと一緒に沖縄に行きたいと言った。飛行機に乗る気力が湧いたのかと思うとうれしくなったが、そのときも、僕は仕事で一緒に行けなかった。

 飛行機での移動がこたえたのだろうか。

 沖縄での滞在中、えーりーの体調がかなりわるくなった。

撮影 榎本麻美/文藝春秋

「病院で点滴を打つと楽になるけど、脱水症状になってしまって……。すぐに東京の病院に入院したほうがいいから、お願い、空港まで迎えに来て。子どもたちはこちらでみておくから」

 お姉さんからの電話を受け、僕は急いで羽田へ向かった。お姉さんに付き添われて到着口に現れたえーりーは、車椅子にのっていた。

 僕は、いつものように、あとから追いかけて合流するつもりだった。

 あのとき、仕事なんてしないで、沖縄に一緒に帰っていれば、最後に家族みんなで沖縄で過ごせたのに。

 僕は、仕事を優先した。

「賛否両論」の日々の営業だけでなく、雑誌だ、テレビだ、外からの仕事が一気に押し寄せて、絶好調に忙しくなってきた時期だった。

 仕事なんて、しなきゃよかった。