「俺がいつも泣いていたほうがいいの?」「そんなの嫌だよ」

――川島なお美さんの闘病中、落ち込んだりしませんでしたか。

鎧塚俊彦さん(以下、鎧塚) 僕は楽しく振る舞っていましたね。女房から「あなた、私が病気になってからほんとに楽しそうね」と言われたので「じゃあ、俺がいつも泣いていたほうがいいの?」と聞いたら、「そんなの嫌だよ」と。「じゃあ、いいじゃん」と答えましたけどね。

 楽しく振る舞っていたといっても、苦しんでいる自分を見せないように、そう演じていたわけではなかったです。あくまで、僕自身がそうしたかっただけ。お見舞いのときも、どうやったら喜んでくれるかを考えてから病院に行っていました。

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 たとえば、「お寿司が食べたい」と言ったときに「はい、寿司」って病室に持っていくだけじゃ面白くないなあと。それで、ドン・キホーテで寿司屋のコスプレ衣装を買って、板前さんの扮装をして、「お待ち!」って寿司を抱えて入っていったこともありました。そうしたらキャッキャッって喜んでくれて。そういうふうなことをして、2人で楽しんでいましたね。

ワインが大好きだった(鎧塚さんのインスタグラムより)

やりたいことを全部やりきるための時間をもらった

――なかなかできないことですよね。

鎧塚 もちろん、人それぞれですし、「僕みたいに、明るく、楽しく振る舞いなさい」なんて言う気はないです。僕の場合は、いまその瞬間、相手に対して良くしてあげたいというだけですよ。

 僕の父も癌で亡くなったんですけど、同じようにしていました。女房も親父も余命宣告を受けたときは「いや、絶対にそんなことはない。もっと生きられるはずだ」って努力はするけど、その一方で「やっぱり、ひょっとしたら」という気持ちもあるから、「これをやってあげたい、あれをやってあげたい」と思うんですよ。

 急にバーンと亡くなられると、もうどうしようもないじゃないですか。でも、余命宣告って、やりたいことを全部やりきるための時間をもらったような気にもなるんです。

川島なお美さん ©文藝春秋

亡くなる1週間前まで舞台に…

――後悔なく、川島さんを送ることができた。

鎧塚 なんでもプラスにとらえちゃうタイプだからかもしれないけど、僕はあれでよかったんじゃないかなと思っています。旦那の僕が言うのもなんですけど、送るときの女房はムッチャきれいでしたよ。髪の毛もフサフサで、ちょっと痩せてはいましたけど、ほんまにきれいで「これが女房の生き様なんだな。さすがだな」って感じました。

 亡くなる1週間前に出演中だった舞台を降板したとき、「これからは女房のオムツを替えたりしないとな」と考えました。でも、そうしたことを一切させずにポーンと急に亡くなったのも「すげぇな」と。僕にそういうことをさせる、してもらうのはイヤやったんちゃうかなって。