自分がいついなくなっても大丈夫な仕組みを作りたい
――誰かに継ぐとか。
鎧塚 はい。僕が背負っている責任を誰かに任せて、僕はお菓子作りにさらに専念していきたいですね。というのも、僕は自分の健康を決して過信していませんから。
大きな病気をやっていると、「ポコッと逝くかもしれない」という怖さが常にあるんです。僕はそれでもいいんですけど、いま僕がいなくなったら、この店は成り立たないと思う。なので、僕がいなくなっても、弟子たちの手で「Toshi Yoroizuka」を続けていける仕組みを作っていかないとというのは、ずっと考えていたことでした。弟子も百何十人いますから。
鎧塚俊彦が思う“理想の引退”
――亡くなった後が不安だと。
鎧塚 死そのものに対してよりも、そっちのほうが怖いですよね。店のその後が。なので、いつ僕がいなくなっても店が大丈夫なようにして、僕はお菓子づくりそのものに専念する。これが今考えている理想の引退ですね。
――あらためて、鎧塚さんは、今の洋菓子業界をどのように見ていますか。
鎧塚 昨年、パティシエ仲間とヨーロッパへ視察旅行へ行きました。ドイツとフランスを回って、有名店も何軒か行ったんですけど、味を深掘りする方向に進んでいるなと。食べた人を驚かせるような味の構成じゃなくて、味の要素を3つくらいに絞ったものになっているんですね。
見た目で言うと、ちょっと前だったらフルーツを模して、そのなかにムースを入れる、柔らかいケーキが流行っていました。それがシンプルなものに変わっていましたね。全体的な流れとしては、ブランド名を打ち出すことよりもクオリティを追求するようになっている印象です。
アクションを起こしていかなきゃいけない
――日本を含めた、アジアはいかがでしょうか。
鎧塚 今後もアジアへの進出は考えています。ただ、アジアの洋菓子は進んでいるとはまだ言えないですね。だからこそ、日本のパティシエたちが先導してアジアの洋菓子業界をひとつにしないといけないなって。これって、僕はバブルの頃から言ってきたことなんです。バブルの頃、日本が力のあるうちにまとめ上げておけばよかったんですよ。
日本のお菓子業界は、まだできるんです。なぜなら、世界中が日本の製菓技術を見ているからです。僕らがフランスに修行に行ったみたいに、アジアの国々から日本に修行に来ているんですよ。ただ、日本の技術が優れていたとしてもいずれは追いつかれるでしょう。だからやっぱり、アクションを起こしていかなきゃいけないと思っていますし、実際にアクションは起こしています。微々たるものかもしれません。でも、それでも動かないと。
撮影=榎本麻美/文藝春秋

