国民的スターの“欽ちゃん”こと萩本欽一さんと妻の澄子さん(スミちゃん)を描いたスペシャルドラマ「欽ちゃんのスミちゃん ~萩本欽一を愛した女性~」が8月31日午後9時過ぎから日本テレビ系「24時間テレビ」内で放送される。
欽ちゃんが妻の死後に最初に明かした秘話を『ありがとうだよ スミちゃん 欽ちゃんの愛妻物語』(文藝春秋刊)から一部抜粋してお届けします。
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夏の暑い盛りだった2020年の8月の終わり、ぼくの奥さんが亡くなった。
彼女の名前は澄子さん。スミちゃんと呼んでいて、ぼくより3つ上だから、82歳だった。四年前に癌があると分かってから、ずっと闘病を続けていてね。最期は病院のベッドで静かに息を引き取ったんだ。
スミちゃんはぼくの妻というよりも、「三人の息子の母ちゃん」という感じでさ。お葬式についても、ぼくの知らない間に息子たちにこう伝えていたらしい。
「とにかく普通のお葬式にするんだよ。賑やかなのはヤメてね」
そうだよね。ぼくがお葬式をやったら、どうしても賑やかになっちゃう。だから、スミちゃんはこっそり息子たちだけに相談していたんだ。
出会った頃は「雲の上の人」
ぼくらの自宅は神奈川県の二宮町にあって、葬儀も近くの葬祭場で行った。
スミちゃんが望んでいた通り、とっても静かな普通のお葬式でさ。参列したのは息子たち夫婦と孫、ずっと彼女の看病をしてくれていた義妹、それからぼくの10人くらいだった。まァ、そのときはコロナ禍だったから、どちらにしても大勢の人を呼ぶわけにはいかなかったのだけれど。
スミちゃんは息子たちの「母ちゃん」だったけれど、じゃあ、ぼくにとって彼女はどういう人だったんだろう?
そう聞かれてすぐに思い浮かぶのは、「スミちゃんはずっと、世話になった姐(ねえ)さんみたいだった」という言葉かな。
ぼくが彼女に出会ったのは、18歳で浅草の東洋劇場に入ったときだった。
スミちゃんは劇場の踊り子さんだった。それも一番人気の看板女優だったんだよ。新人のぼくは話すことはもちろん、目を合わせることもない「雲の上の人」。