赤い太いひもを指に結んだ
忘れられないのは、4年前に初めて入院した時、お見舞いから帰るぼくに彼女が「ありがとうね」と言ってくれたことだ。
これまで、そんな言葉を聞いたことがなかったから、ぼくは嬉しくなっちゃってさ。
「スミちゃんから『ありがとう』って言われたよ。こんなに優しい奥さんみたいな言葉、ぼくは最高に嬉しいよ」
と、大はしゃぎしたんだ。そうしたら、次の週にも「本当にありがとうね」と言ってくれてね。
「今日は『本当に』が付いた。嬉しいなあ。ぼくにとっては幸せな病気だなァ」
と冗談で笑ったの。
以来、ぼくが帰るときに彼女は「ありがとう」と必ず言ってくれるようになったんだ。
スミちゃんが亡くなるひと月前、子供たちの提案で、ぼくらはツーショットの写真を撮ったんだよ。
指に赤い糸を結ぼうとなったんだけれど、糸では切れたら嫌だから、ぼくは太いひもを用意して結んだ。その頃、スミちゃんは少し意識が朦朧とし始めていて、「紐の先にいるのは犬かい?」なんて言っていてさ。ギャグだったのか、それとも昔に飼っていた犬を思い出したのか……。聞いても彼女は答えなかった。
手をぎゅっと握り返してくれた
その日から、ぼくは3日に1度くらいお見舞いに行くようになった。でも、新型コロナで面会は3人まで、時間も5分だけと決まっていた。
いつも言ってくれていた「ありがとう」がなくなったのは、亡くなる4日前のことだった。
次の日には、「スミちゃん来たよ」と言っても何にも返事がなかった。
「帰り難いなァ。ありがとうはないの?」
そう呼びかけて手を握ると、彼女はぼくの手をぎゅっと握り返してくれた。
「ああ、来たよ、ありがとうが。嬉しいよ」
すると、またきゅっと握り返してくれる。
看護師さんに「意識はあるの?」と聞いたら、「あるかないか分からないけれど、本人は喋っているつもりだと思います」ということだった。
そうしたら、もう1度、きゅっと握り返されてね。
「今日は3つ貰ったから、これで帰れるよ」
そう言ってぼくは帰った。