ぼくら2人の最後の会話

 亡くなる前日、同じように「嬉しい言葉を聞かなきゃ帰れないよ」と言ったけれど、そのときは返事がもうなくてね。

 ぼくは大声で言った。

「あ、そうだ。俺もありがとうだった。スミちゃん、ありがとうね」

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 ぼくの声が聞こえないのか、聞こえているのか。でも、来るべき時が来たんだ、って思った。

「スミちゃん、帰るからね。ありがとう」

 そうしたら、彼女はかすかに首を横に振ったんだ。

 それがぼくら2人の最後の会話だ。

©文藝春秋

今もずっと考えてる

 あのとき、彼女が首を振ったのは、どういう意味だったんだろう? と今もずっと考えてる。

 ぼくが自分のいいように解釈すれば、「『ありがとう』と言うのは私だよ」って意味だったのかな。

 義妹も「そうに違いないよ」とは言ってくれたけれど、ひょっとしたら「あんたに『ありがとう』なんて言われたくないよ」という意味だったのかもしれない。

 どちらにせよ、そんな日々を振り返るとき、ぼくは思うんだ。これはぼくらの「ありがとうの物語だったんだな」って。

 義妹によれば、スミちゃんは入院するとき、いつも必ず1つだけ持ってきたものがあったという。

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 それはお化粧道具で、寝たきりになってからも、ぼくがお見舞いに来る日になると、眉毛だけは描いてもらっていたそうだ。ぼくが家に帰るとき、必ずお化粧をしてくれていたように。

 スミちゃんはそんなふうに、最後までぼくのファンでいてくれた。そして、優しい3人の子供たちを、しっかりと育てた母親でいてくれた。

 だから、やっぱり最後にぼくはこう言いたいな。

 スミちゃん、ありがとうね、って。