故人のご遺体を火葬し、その人生を締めくくる場所「火葬場」。今でこそクリーンな運営をしている場所が多いが、かつては火葬場で陰惨な事件が起きていたこともある。
1933年に起きた「桐生火葬場事件」もそのひとつだ。群馬県桐生市で火葬場職員が、火葬場に運ばれてきた遺体から脳漿(脳のまわりを満たしている液)を盗み、高額で売りさばいていたとして、当時、日本中で話題になった。
「桐生火葬場事件」以外にも、日本各地で同様の事件が起こっていたという。いったい、どんな事件だったのか——。ここでは、元火葬場職員・下駄華緒氏が、火葬場で起きた事件を徹底調査してまとめた書籍『火葬場事件簿 一級火葬技士が語る忘れ去られた黒歴史』(竹書房)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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脳しょうを買い取って姉に飲ませた男
遺体から脳しょうを取りだして売る――桐生火葬場事件の発覚を皮切りに、同じような事件が埼玉だけでなく、次々と明るみに出てきていた。
同様の事件を3つ紹介しよう。
北海道の函館では、34歳の火葬場職員が脳を売ったことを昭和7年(1932)4月、警察の取り調べで自白した。
この職員は、同じ函館市の米穀商の男から依頼を受けて、とある遺体から脳しょう70匁(70もんめ、約260グラム)を取りだし、これを10円で売ったという。計算方法によって諸説あるが、いまの価値でいえばだいたい5万円くらいだ。
買いとった米穀商の男は、なんとこれを自身の姉に飲ませた。
じつは姉は長いあいだ肺病を患っていたのである。
しかし、人間の脳が肺病に効くなど迷信。効き目がなかったとのことである。
500体もの遺体を損壊
舞台は三重県の鳥羽。海が近く風光明媚な場所であるが、ここでも陰惨な脳みそ事件が起きた。
ここでは火葬場職員が昭和6年(1931)から昭和8年(1933)9月に至るまで、なんと3年間にわたり脳しょうを売りさばき続けていたというのだ。
その数、なんと500体ほど。とんでもないスケールの事件である。
また、この手の事件では、脳を肺病の薬として売るケースがほとんどだったが、この鳥羽では違った。