故人のご遺体を火葬し、その人生を締めくくる場所「火葬場」。今でこそクリーンな運営をしている場所が多いが、かつては火葬場でさまざまな事件が起きていた。いったい、どんな事件が起きていたのか——。
ここでは、元火葬場職員・下駄華緒氏が、火葬場で起きた事件を徹底調査してまとめた書籍『火葬場事件簿 一級火葬技士が語る忘れ去られた黒歴史』(竹書房)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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妻の糖尿病が進行し、認知症の症状も出はじめた
この壮絶な焼身心中を図った老夫婦だが、いったいどんな理由があったのだろうか。
ふたりが暮らしていたのは市内にある木造2階建ての住宅だった。自宅の周囲には広い田んぼを持ち、これらでつくった米と年金がおもな収入源であり、貧乏暮らしというわけではなかった。
報道によると、広い庭があり池には何匹もの錦鯉が泳いでいて、庭木もきちんと手入れがされていたといい、丁寧な暮らしぶりが窺える。
夫婦仲もとても良く、近所では一緒に買い物に出かける姿をよく見られていた。
ずっとこの暮らしが続けば不幸な選択をしなくて済んだかもしれない。彼らの暮らしに徐々に暗雲が立ちこめるようになったのは数年前からだった。
もともと奥さんのほうが糖尿病であったのだが、数年ほど前から症状が悪化して自力で歩くのが徐々に難しくなってきていたのだ。
さらに糖尿病の進行と重なるようにして、認知症の症状も出はじめていた。
夫は「妻の面倒は自分で見る。これ以上は必要ない」と…
最初は軽い物忘れ程度であったが、徐々に奇行が目立つようになっていた。
とうの昔になくなった母親を呼んだり、杖をつきながら集落のなかを徘徊したりなど症状が進行していった。
やがて旦那さんが奥さんにずっと付きっきりで生活しなければならなくなった。もともと農作業をしながら足の悪い奥さんに代わって掃除、洗濯、炊事などの家事を引き受けていたのに、そこへ奥さんの介護も加わるのだから、負担も激増だ。
そんな生活をしていたら今後は旦那さんのほうも過労で倒れてしまうのではないか、近所の人も心配していたのだという。
そこで手伝いを申しでたり、行政サービスなどを教えてあげたりしていたというが、旦那さんは「妻の面倒は自分で見る。これ以上は必要ない」と、他人の世話になることを頑なに拒んだ。