日本最高峰にして活火山、富士山。
有史以降富士山は幾度となく噴火を繰り返してきた。記録に残る大きなものは延暦噴火(800~802年)、貞観大噴火(864~866年)、そして宝永大噴火(1707年)。
最初の延暦噴火は、ほか二つの噴火に比べ記録がすくない。『日本紀略』によれば延暦19年旧暦3月14日から4月18日にかけてと、2年後の延暦21年に噴火があり、足柄路が一時封鎖され、代替ルートとして箱根路が開かれたとある。本書はこの記録のすくない噴火に際した富士南東麓の人々を、京へ駿馬を送る国牧・岡野牧を中心に描く。
筆者は『火定』で天平奈良の天然痘パンデミックを描いたが、その筆致はコロナ禍に再度注目された。本作もまた、神奈川県西部で複数回おきた地震で、富士山の火山活動が注目される中での刊行となった。
主人公は駿河国司の家人として平安京から駿河へやってきた鷹取(たかとり)。家人とは主一家の財産として所有される奴隷だが、鷹取は過去、家人解放の約束を反故にされており、生きる望みが無い。辺境の地で噴火に巻きこまれた彼は、駿河国衙に居る変わり者の宿奈麻呂(すくなまろ)、岡野牧の牧帳五百枝(いおえ)、馬を世話する牧子の安久利(あぐり)や駒人(こまんど)、近隣郷の人々、足柄山の遊女や山賊たち、「歴史に名の残らぬ」庶民らと先の見えぬ復興に苦闘するうち、心境が変化してゆく。
未曽有の災害は貴賤問わず降りかかり、平安時代でも現代でも、人はなんら変わりないことを、筆者は克明に記す。家族を捨てて逃げざるをえなかった者の自責、火事場泥棒をはたらく者の詭弁。登場人物の誰に共感するかは読む人によって変わろう。私は、横走駅長・粟岳(あわたけ)の愚かで懸命な生き方から目が離せなかった。
折りしも蝦夷討伐軍編成のため、馬や矢を献上せよと朝廷からの命がくだる。中央政権は辺境の災害など、気にもとめない。能登地震での政府の対応を、私は思い重ねた。
その中で、知や記録に執念を見せる宿奈麻呂の言葉が、ひときわ輝く。「この世に起きたことは、一言一句書き記しておかねば、なかったも同然となるのだ」。
終盤鷹取が、征服戦争から凱旋する坂上田村麻呂と阿弖流為(アテルイ)と、一瞬だけ交錯する。「歴史に名が残る」人物らと相対する鷹取の堂々たる姿は、力強い。
最後に、個人的に性愛があまり書かれないのにほっとした。大災害にあって子孫を残すことは肯定的に語られがちで、もちろん正しいことの一つだ。家人という身分で30歳を越えて女性経験がない鷹取も、最初こそ遊女を羨ましげに眺めるが、ラブストーリーは描かれない。「人生でセックス以外にも大事なことはたくさんある」という筆者の信念を感じた。血縁に依らぬ個人がいかに生き、死ぬか。そこに焦点を定める本書を、安らかな気持ちで読んだ。
さわだとうこ/1977年京都府生まれ。2010年『孤鷹の天』でデビュー。16年『若冲』で親鸞賞、20年『駆け入りの寺』で舟橋聖一文学賞、21年『星落ちて、なお』で直木賞を受賞。
たけかわゆう/1981年神奈川県生まれ。2017年『虎の牙』でデビュー。21年『千里をゆけ』で日本歴史時代作家協会賞作品賞受賞。