本書は「興福寺中金堂再建落慶記念作品」と銘打たれている。今年、興福寺(奈良市)では、伽藍の要である中金堂が300年ぶりに再建された。その“公式”記念作品なのである。
「いま、古代の終わりに興味があって、いずれ源平合戦(治承・寿永の乱)を包括的に書きたいと思っています。しかしテーマが大きすぎるので、パーツを集めていくしかない。今回は南都焼討を通じて、平家の都落ちを南都側から書きたかった。この事件は平家の評判を大きく落とし、その権勢が傾く契機となりました」
澤田さんによれば、戦国や幕末など歴史が大きく動く時代は小説のネタの宝庫。にもかかわらず、平安末期が包括的に描かれた小説は少ないという。
主人公の1人、僧・範長(はんちょう)は藤原頼長の四男で興福寺の大法師位だったが、頼長が保元の乱を起こし敗死したことで、配流された。史料には一行しか登場しないが、澤田さんは、範長が興福寺に戻り、悪僧となっている設定にした。
もう1人の主人公・信円(しんえん)は、南都焼討時の興福寺別当。2人は同じ藤原氏でありながら、焼討を境にやがて激しく対立、理解し合えないまま憎悪を募らせる。
「家や律令制に縛られて物事を語ってしまうのが信円で、彼は非常に古代的です。範長はそういうものから解き放たれて個で生きて行こうとする。書き終えてみて、はからずも古代と中世のせめぎあいが、2人の関係を通じて表現できました」
澤田さんが歴史小説を書く時に最も重要視するのは、「時代」だという。
「史料を並べて起きた出来事を考え、その時代の人はこういう風に思い行動したのでは、と推測して仕事を進めていきます。だから私は現代的な感覚を過去の時代に持ち込むことはしません。私の作品内では人物があっけなく死んだりしますが、それは戦争が日常だった時代、当然だったろうと思います」
とはいえ、人物が後景に押しやられているわけではない。やがて範長に大きな影響を与える、平家側の平重衡(しげひら)やその養女・公子も、それぞれに人間的奥行を持ち、懊悩(おうのう)する姿が胸を打つ。
「私たちの生きている時代にお寺の落慶なんてものがあり、やがてそれも歴史になると思うと、我々も歴史の一部なんだと思います。人の記憶を辿って繋いでいくと、少しだけ見える世界が広がる。登場人物を通じて、古代も現代に接続された過去なんだということを感じて頂けると嬉しいです」
『龍華記』
興福寺の悪僧(僧兵)・範長らは国検非違使の南都入りに抵抗、検非違使別当を殺める。やがて平重衡を大将とした大軍が報復に南都を焼討、寺々は灰燼に帰した。興福寺別当・信円は寺の再興に奔走するが、範長が重衡の養女・公子らを匿っていることを知り、憎悪を募らせる。若き日の大仏師・運慶も主要人物として登場。