『猛獣ども』(井上荒野 著)春陽堂書店

「そりゃあそうよね。男と女のことなんて、全部間違いみたいなものよね」

 井上荒野の、とりわけ「愛」をめぐる小説を読むといつも打ちのめされ、あとから不思議と力が湧いてくる。

 描かれているそれが甘やかなものなんかじゃないのはもちろん、虚飾や欺瞞や醜態がみもふたもなく暴かれるせいでもない。「間違いみたいなもの」なのは百も承知で、それでも「正解」をふりかざすような立場に安住することなく、きわのきわまで肉薄して人間の営みを看取ろうとする――そのまなざしがあまりに強靱で逞しいからだ。

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 本作の舞台は山間の閑静な別荘地。「男女が熊に襲われて殺される」というショッキングな出来事から物語は幕をあける。通報を受けた管理人の慎一は、エリア内の住民の安否確認を行うだけで手一杯だが、驚くべきことに定住者のあいだでは被害者の情報(どうやら近隣の町の人間らしい)がその日のうちにもう出回っている。ほどなくして管理事務所のポストに「ふたりは姦通していた」と書かれた紙が投函される――。

 物語は、3年前に住み込み管理人の求人に応募してやってきた慎一と、事件のあった当日に本社から異動してきた七帆の視点を交互に挟みながらサスペンスフルに綴られていく。いわゆる「不祥事」が原因でこの地に辿りついたふたりは、事件の断片らしきものに触れるたびに過去の傷と向き合わざるを得ない。一方、非常事態に昂揚する住民たちの面妖な姿は、閉塞感に満ちたそれぞれの日常のひずみを物語っていく。

 例えば、東京から夫婦で移住してきてまだ日が浅く、自分が考える理想の生活を整えるのに躍起になるあまり管理事務所にたびたびクレームを入れてしまう若い女。自分を幸せにしてくれる「大好きな夫」が、他の女性を眺めながら「俺の妻はどうしてこの女じゃないんだろう」(!)などと考えているとは夢にも思っていない。また、「愛と山」なるペンションを経営する夫婦は、成長した息子が家を出たのを機に岐路に立たされている。夫はかつての熱を取り戻そうと必死だが、妻の視点では、そもそも“夫婦揃って山が趣味”という大前提から誤っていることが読者に明かされる。

 妻と夫。あるいは男と女。互いの見ている景色がまるで異なっている様子が容赦なく詳らかにされていく過程もさることながら、すべてわかった上で共犯者のように「夫婦」の鋳型を懸命に維持しているカップルの姿には思わず声を失う。だが、彼らのありようを写しとる作者の筆には、蔑視も冷笑も見当たらない。

 それを失った人。それに絶望した人。それに没頭してみたかった人。彼らが思い描く「愛」は虚ろな手触りだが、それをめぐって互いに擦れあう「生」は紙面を震わせるほど猛々しい。井上の筆は、その姿を渾身の力で抱きとめるのだ。

いのうえあれの/1961年、東京都生まれ。2004年『潤一』で島清恋愛文学賞、08年『切羽へ』で直木賞、16年『赤へ』で柴田錬三郎賞、18年『その話は今日はやめておきましょう』で織田作之助賞を受賞。近著に『ホットプレートと震度四』『錠剤F』など。
 

くらもとさおり/1979年生まれ。書評家。小説トリッパー「クロスレビュー」、週刊新潮「ベストセラー街道をゆく!」を連載中。