『ドクターX』の主人公はある種女性性を強調したビジュアルで、ミニスカートから美脚をむき出しにし、華やかなファッションを身に着けながら、己の医療技術で大金を稼ぎ出すという、正義の医療にお金とファッションが結びついた資本主義的な面があった。一方、『新宿野戦病院』のヨウコは女性性を強調しないうえに、言葉も標準語を話さない(しかも英語はヘタ)ことによって、カテゴライズしづらい。そんな人物を、小池が実に魅力的に演じてみせた。
例えば、漫画『ONE PIECE』のナミは女性らしいスタイルが強調されたビジュアルながらもセクシャルさから遠ざかって見える。それは漫画やアニメだからできることかと思いきや、小池栄子はヨウコという役であたかもナミ的な存在に到達したかのような気がしてならない。
『新宿野戦病院』では、戦場において、富める者も貧しい者も、地位があってもなくても、死ぬ時は死ぬ、という究極の平等性が語られる。小池栄子はカテゴライズされないヨウコを演じることで、それを体現して見せたともいえるだろう。まさに“ニュー小池”の萌芽である。
最初は女性性を意識した役で注目されたが…
グラビアアイドル出身の小池は、演技の才能を認められながらも、これまではどこか、女性性を意識した役割を担ってきた。ジェンダー平等意識がまだ薄かった00年代初期に、女性特有とされた、同性への激しい嫉妬やマウンティング意識の強い役を極端な凶暴性で表現して注目された。映画『恋愛寫眞』『2LDK』(いずれも03年)などがそれに当たる。
その数年後、『接吻』(08年)では殺人事件の容疑者に心惹かれる独身会社員を演じたことをきっかけに、内省的な役も演じるようになり、『八日目の蝉』(11年)では、不倫相手の子供を誘拐した女性を題材に記事を書こうとするフリーライター役で俳優として高い評価を獲得し、数々の映画賞を受賞した。
『八日目の蝉』で小池が演じたのは、猫背でどこか自信がなさげな雰囲気の裏側に男性性と女性性の相違への恐れを抱いている役柄だった。グラビアアイドルという女性性と男性性の相違に自覚的にならなければいけない仕事をやってきたからこその感性が、人間の表裏一体性のような表現として成熟を見たに違いない。
小池が演じた、女性性を意識させるような役の集大成が、先述の『鎌倉殿の13人』で演じた北条政子である。主人公・北条義時(小栗旬)の姉にして、かの源頼朝(大泉洋)の妻でもあった、尼将軍こと北条政子は、女性ゆえの悲喜劇を体現するような人物である。
純朴な田舎の武士の娘だった政子が、高貴な頼朝にあこがれて、積極的にアプローチし、念願の妻になり栄華を極めたすえ、尼になる。妻として、母として、様々の苦労を経た最終回、弟の義時を前にした政子の懊悩と決断はじつに深みがあった。小池栄子の魅力であるワイルドさとゴージャスさと、そこに同居する貞淑さを北条政子に三谷幸喜が全部乗せしたことで、世紀の悪女と語られてきた政子に、誰も知らない別の顔があったという物語が生まれた。
「胸を強調する役に躊躇はないか」と聞くと…
以前、筆者が小池栄子にインタビューをしたとき、舞台で胸を強調する役をやっていたことを例にして、身体的特性を強調するような役柄をやることに躊躇はないのか聞いてみた。すると小池はいやな顔をすることなくさらりと答えた。