あるいは少子高齢化社会をいい加減に描いたストーリー
もし『聖剣V』がストーリーを中心に据えるのであれば、もっと一本道にして物語に注力すべきだったろう。
とはいえ、ストーリーを本筋にしても必ずいいものができるとは限らない。たとえば『ファイナルファンタジーXVI』は明確にストーリー主導のゲームで、人種差別や原子力発電といった現実の要素と関連付けて解釈できるような問題を描いていた。
だが過去の記事で指摘したように、『ファイナルファンタジーXVI』は現実を顧みないどころか、そういう問題を逆なでするようなストーリーだったのである。
ちなみに、『聖剣V』のストーリーも全体を見れば現実のメタファーと解釈できなくもない(極めて好意的に解釈すれば、だが)。本作は「衰退し続ける世界をどうするか」といった物語であり、「少子高齢化社会を描いた」と取れもするだろう。
ただ、その問題に対して『聖剣V』は、子を成して社会の犠牲とすることを是としているし、そもそも最終的な解決方法が「なんかすごいパワーでなんとかなれー!」というふざけたものになっている。
『聖剣V』の主人公は自分の意志が弱く周囲に流されやすいらしく、なんとなくでストーリーが進んでいき、なんとなくいい感じに世界の運命を決めていく。このあたりは空気を読む日本らしいのかもしれないが、読み手としては勘弁してほしい展開およびキャラクターである。
昔のRPGはストーリーや世界設定が大雑把でも問題なかったし、そもそも詳細には描けなかった。しかし、細部を見せるスタイルのオープンワールドRPGになるとそうもいかなくなるのである。
『聖剣V』はシリーズの復活を見せてくれた一作ではある。しかし、かつての日本産RPGを安易にオープンワールド化する営みが、世界を薄っぺらく描写してしまうという証明にもなってしまった一作ともいえる。