バンドの活動休止、精神病院に一時入院も…
玉置にとって「甘い汁」とは、「ワインレッドの心」以降もヒットを期待され、応えていくなかで、メンバー以外で音をつくり出すようになったことを指す。それまでメンバーだけで曲をつくり、ライブも行ってきたのが、気づけば外部の人たちにサポートに入ってもらい、最高15人もの大所帯となっていた。しかも、機械に頼りがちになる。《これじゃあもう全然バンドじゃないというか、安全地帯じゃないんですよ。そういう理由で活動をいったん休みにしたんですね》(同上)。それが1988年のこと。
このあと安全地帯は1990年に再結集して、もう一度メンバーだけでアルバムを制作し結束を固めたが、それも長続きせず、1992年にデビュー10周年を記念してアコースティック・ツアーを行ったのち、再び活動を休止する。このころ玉置はすっかり心を病み、精神病院に一時入院したことを後年告白している(前掲、『玉置浩二★幸せになるために生まれてきたんだから』)。
ミュージシャン兼俳優・玉置浩二としての成功
玉置浩二は安全地帯が全盛を迎えていた1987年、初めてソロアルバムをリリースし、個人での活動に入っていく。前後して1986年には、作詞家の松井五郎の原案によりキティレコード社長の多賀英典が監督、安全地帯が音楽を担当した映画『プルシアンブルーの肖像』に主演し、演技に開眼する。
1989年には『キツイ奴ら』で連続ドラマに初出演し、小林薫と詐欺師コンビを演じる。演出の久世光彦は当初、玉置の本職を茶化すことになると思い、彼に劇中で歌わせるつもりはなかったが、吉行和子が歌う場面で何気なく「ちょっとハモってくれる?」と頼んだところ、思いがけず本人が乗ってきた。これをきっかけに玉置が小林と流しに扮して歌うシーンが毎回の名物となる。久世とはその後もドラマで組むばかりでなく、彼が市川睦月名義で詞を書き、玉置が作曲して、演歌歌手の香西かおりが歌った「無言坂」(1993年)が日本レコード大賞を受賞するということもあった。
名演出家に「あんなバカ見たことない。でもあんな天才もいない」と言わしめる
ちなみに、数々のドラマを手がけながら樹木希林など多くの才能を見出した名演出家である久世は、玉置について《あんなバカ見たことないんだけど、あんな天才もいないんだよ。大河ドラマで足利義昭を演じていても、室町幕府も征夷大将軍も何のことなのか、全然意味はわかってない(笑)。台本の漢字も全部ルビだよ。でも映像を見ると完璧に足利義昭なんだよ。セリフのやりとりを音楽として感じているからなんだね。そこは本当に天才なんだよ》と評した(『週刊文春』2009年3月12日号)。ミュージシャン兼俳優・玉置浩二に対する最高の賛辞だろう。