玉置が足利義昭を演じたのは1996年の大河ドラマ『秀吉』である。同じ年にはドラマ『コーチ』に浅野温子とともに主演、玉置自身による主題歌「田園」は100万枚近くを売り上げ、彼の最大のヒット曲となった。玉置は90年代半ばのこのころ、尾崎豊などを世に送り出した須藤晃をディレクターに迎え、作品を手がけていた。
ほぼ即興でつくった「田園」
「田園」が生まれたのはひょんなことからだった。このとき、レコーディングの日に間に合うよう玉置はかなり時間をかけて曲をつくってきたものの、須藤はそれを聴いて「この曲を録音するのはやめましょう」と却下してしまう。しかし、続けて「せっかくスタジオを取ったのだから、この場で1曲つくりませんか」と持ちかけた。玉置は《僕も、しょうがない、なにか作るか……という感じでギターを持ってスタジオに入ったんです。そうしたらいきなり、あのイントロのフレーズが思い浮かんできたんですよ。それで本当にバーッと10分ぐらいでできた》という(『女性自身』2005年11月15日号)。
ほぼ即興でつくった曲が大ヒットになったとは、冒頭で紹介したように、いつも頭のなかにメロディが流れていると語っていた玉置のまさに面目躍如と思わせる。しかし、本人に言わせると、《『田園』は自分がミュージシャンとして歌いたいことをストレートに歌詞に書けて、こういうメロディを作りたいなという気持ちをパッと表現できた最初の曲》であったという(同上)。これに対し、それまでの安全地帯のヒット曲には有名になりたいと願ってつくったものが多かったということらしい。
軽井沢から東京に拠点を移した
これは2005年の発言だが、このころには安全地帯時代の曲を歌うことは少なくなっていた。その理由について当時出演したテレビ番組で問われると、《ソロになってからは、自分でやりたいように、詞も自分で書いてやりたいようにやっていたいっていうのがあって、それがもう10年くらい経ったので、そっちのほうが自然になってきた。安全地帯の曲を歌うと、人の曲を歌ってるみたいな感じがあるんですよね》と答えている(鳥越俊太郎『僕らの音楽 対談集 1』ソニー・マガジンズ、2005年)。この年、玉置はその7年前の1998年に転居した軽井沢とあわせ、ドラマ『あいのうた』への出演を機に久々に東京に拠点を置くようになった。
そもそも軽井沢に移住したのは、40歳を前に東京での生活に疲れ果てたためだった。住み始めた当初こそ、鳥の声で目覚めたりする毎日に充実感を抱きながら、ゴミを拾って集めるなど“いい人”になろうと努めていた。しかし、そのうちに音楽ができなくなってしまったという。2001~03年には約10年ぶりに安全地帯の活動を再開したものの、そのあたりから何をやっても不安という状態になってしまう。ソロに戻ったら大丈夫かもしれないと思ったが、不安は消えなかった(『婦人公論』2005年2月22日号)。