《音楽は全然聴かないですね。聴く必要がないんですね、音楽の発信地は、いつも自分ですから。音楽を忘れたいんですけれど、勝手に頭の中で音楽が流れてきて困ってるんですよ》
まるでモーツァルトもこうだったのだろうかと思わせるような発言だが、これはいまから31年前、ミュージシャンの玉置浩二が『週刊文春』でのインタビューの冒頭で語ったものである(1993年3月25日号)。
このとき玉置は続けて、ドラマなどで演技しているときや飛行機に乗っているときにもメロディが浮かんできてしまうと語った上、《こういう感じで、いつも音楽は自分から離れないんですよね。これは苦しいです。もし、曲作りもせず、ただ歌うだけしかやっていなかったら、それはもっと苦しいでしょうね(笑)》と吐露していた。
当時34歳の玉置浩二が語ったこと
なお、このインタビューは8000字、6ページにわたって掲載された。週刊誌ではかなりのボリュームである。玉置は当時34歳。ロックバンド・安全地帯のボーカルとして人気を集めた20代以来、週刊誌をはじめマスコミからはもっぱら女性関係のスキャンダルで追われ続けてきた。それだけに、言わば彼にとって敵地である週刊誌で、音楽に真摯に向き合う姿に焦点を当てたこの記事は貴重である。取材中は終始フレンドリーで、聞き手を務めたライターの岩見吉朗には、彼が妹の編んだセーターを着ているのを見て、《それ手編みでしょ? 素晴らしい。手編みを身につけている人は信用できる》と褒めてくれたという(同上)。
手づくりへのこだわりは、インタビュー中での《最近は、自分の持っているムードやリズムじゃなく、機械に頼るという時代がずっと続いているみたいでしょう? ボタンを押すだけで誰でもいろんなリズムパターンを引き出せる打ち込み音楽というものがありまして、一つのジャンルになってるらしい。(中略)別に機械を使ってもいいんです。でも、機械に任せちゃったら駄目なんですよ》という発言からもうかがえる。
66歳の誕生日を迎えた
ちょうどこの前年には、父親に同行して北海道最北端の宗谷岬から自身の郷里である旭川まで308キロを歩いており、身体を使うことの大切さに気づいたとも語っていた。同時期の別の記事によれば、このとき父親は63歳だったという(『月刊カドカワ』1993年5月号)。息子の玉置はその年齢をすでに上回り、きょう9月13日、66歳の誕生日を迎えた。