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「精神的に病んでしまって」気づいたこと

《「もっと人としていいことしよう」と考えて、(中略)そうしていたら、音楽ができなくなってしまったんです。(中略)なんだか精神的に病んでしまって。で、気がついたんです、子供の頃から好きだった音楽を、好きなようにやるのが一番なんだって。「いい人間になろう」なんて考えるのはやめよう、他人に何を言われようと、オレはいい歌を歌えばいいんだ、と》とのちに玉置は明かしている(『Men's EX』2010年7月号)。

「とにかく安全地帯をやろう」と思い立った

 こうして2009年には軽井沢から引き払い、東京へ完全に戻った。直接のきっかけは、やはり軽井沢に住み、親交のあった先輩ミュージシャンの加藤和彦が亡くなったことだという(『週刊朝日』2013年12月13日号)。この年にはまた、玉置と同い年のマイケル・ジャクソンも亡くなり、《「これは大変なことになったぞ、参ったな」と思いながら、「オレもやんなきゃ」みたいな感じが出てきたんです。それで「とにかく安全地帯やろう」》と思い立ち(『Men's EX』前掲号)、同年秋にはレコーディングに着手する。こうして翌年、シングル「蒼いバラ」「オレンジ」、アルバム『安全地帯XI ☆STARTS☆「またね…。」』、さらに過去のヒット曲を新たに録り直したセルフカバーアルバム『安全地帯 Hits』をあいついでリリースした。

『安全地帯 Hits』ではまず「ワインレッドの心」を録り直したが、メロディはそのまま、コーラスも原曲のものを一部残した。玉置は25歳の自分と“共演”したのが面白くなり、ほかの昔のヒット曲もカバーすることにしたという。その少し前まで自分の曲とは感じられなくなっていた安全地帯の曲も、彼からするとこれを機に取り戻し、気持ちも新たに歌えるようになったということだろう。歌い方も、若い頃はビブラートをかけて歌っていたのがじつは気に入らず、このころには飾らず真っ直ぐ歌うよう改めていた。

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青田典子とは2010年に結婚 ©文藝春秋

 このときの安全地帯の再結成は本格的なものとなり、現在まで続くことになる。そのなかで一昨年の2022年にドラムの田中裕二が亡くなり、玉置たちは喪失感を抱きながらも、この年暮れの紅白歌合戦に安全地帯として37年ぶりに出演した。

歌を歌うために生まれてきた

 これと並行して玉置はソロ歌手として2015年よりフルオーケストラの演奏によるコンサートツアーを毎年開催し、今年で10年目を迎えた。そのツアーのファイナルを飾った大阪・万博記念公園でのライブの模様は、先月末、NHK総合テレビで放送された。同番組では、ツアー中に玉置が現在の夫人の青田典子とともに、公演で訪れた沖縄・長崎・広島でそれぞれ平和への祈りを捧げる姿も追っていた。

©時事通信社

 安全地帯を本格的に再始動したころ、玉置は自分にとって歌うことは「天命」だとして《歌を歌うために生まれてきた人間なので、歌手になりたいと思ってがんばっている人たちとは違うので、なんて言ったらいいのかな……僕の歌でみなさんがいい恋をしてくれたらなといつも思っています》と語っていた(『ミセス』2010年6月号)。ほかの人が言えば傲慢に聞こえてしまいそうな言葉も、玉置なら許せる。今年のオーケストラとのコンサートで掲げたテーマである「愛と平和」も、彼が言うとちっとも噓っぽくない。それも、音楽にひたすらに純粋に向き合おうとする姿勢を持ち続けているからこそだろう。

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