話は転生するが——もとい、話を転じるが、集団意識にとって手の届く記憶の範囲で日本というエリアは、ギャップの大きな異世界との接触を二回、繰り返している。すなわち開国と敗戦である。たとえば「洋食」というカテゴリの料理は開国の産物と言えるもので、味覚と生活スタイルにおける異文化との融合は、この第一期接触を象徴する無形文化としての地位を表象上でも得ている。異世界ライトノベルの人気シリーズ『異世界食堂』では、中世風ファンタジー世界(異世界転生に限らずライトノベルの多くが世界観の基軸としてきた中世ヨーロッパ風ファンタジー世界だが、これはアマチュア作家が採用しやすいイメージ先行の世界設定であり、現実の中世ヨーロッパとは一致しないことから「小説家になろう」×ヨーロッパを組み合わせたナーロッパという蔑称もある)に住まう異世界人たちが、次元の扉を通り日本の洋食店でコロッケやビーフシチュー、エビフライ、チョコレートパフェといった料理と出会って日本スゴイ的食レポ&オーバーリアクションを繰り広げる。わざわざ架空の低開発エリアを設定して日本スゴイを演出する手法に低俗や低倫理を見る向きもあるかもしれない。だが実は、この異世界×日本スゴイのテンプレートは、約八十年前の日本に起きた第二期接触——敗戦および敗戦国民のステレオタイプな原像を反転させただけの、ある意味でカリカチュアなのである。戦後しばらく、頻回に行われていた交流事業で米軍基地に招待された子供たちは『異世界食堂』の異世界人たちと寸分違わぬ感動を味わい、同じリアクションをしたのだった。ふんだんに供されるアイスクリームで口元を汚した子供は、ちり紙と純白ふわふわなティッシュペーパーの埋めがたい落差を知った。新憲法という魔法。合理主義、科学的思考というチート能力。異世界転生ジャンルのブームと定着は、書き手も読者も誰憚らず欲望を満たすための物語を欲し、供給する小説投稿サイトのシステムのゆえに……、と理解されてきたが、その欲望とは何のことはない、今度は自分たちがGHQの側になりたいという、戦後神話の裏返しの型(パターン)なのだ。われわれにとって理想世界はつねにどこか遠くにある異世界(ガンダーラ)であり、理想世界を構築するための力とは、上から与えるものか、与えられるものであり、落差を利用した一発逆転の魅力の前では、内発的な自立心と漸進性など相手にされない。私はこうした異世界転生ジャンルの発生原理を、ギブミーチョコレート症候群と呼んでいる。
以上は、Wikipediaに書いたりしたら即刻削除されるだろう私のでたらめな独自研究である。
島田雅彦『大転生時代』は、異世界転生というジャンルに純文学の立場から対峙する挑戦的な作品だ。
——巷に出回ってる小説なんて自分に都合のいいユートピアを作りたいだけじゃないか。何の障害もなく、他者も存在していないから、どんなヘタレも無敵になれる。本当の異世界はあんなゲームみたいにイージーな世界じゃない。