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 転生は死の定義を根底から変えてしまった。死は終わりではなく、異世界での新たな生の始まりを意味するようになった。

 ポスト・ヒューマン思想の源流は不死の願いにあるとされるが、そのとおり、現世の対岸とは死であり、生と死の落差こそが人間にとって不朽の関心事だ。本作がポスト・ヒューマン文学として読まれるとき、人間存在の拡張の可能性が遠望される。時空転移システムによって不死が可能となった未来、時雨たちはポスト・ヒューマンの時代を生きることになるが、ここでも「同期」が本作の個性であるということに私は気づいた。参考までに近年のポスト・ヒューマンSFから一例を引くと、『攻殻機動隊SAC_2045』シーズン2(2022)では、限界に達した資本主義に持続可能な戦争を組み込み延命をはかろうとする社会を前提とし、そこに出現する救済策として、現実世界に生きながら個々の電脳空間では他者との摩擦のない、自己にとって都合のいい世界をあたかもそれが現実であるように生きられる技術——「ダブルシンク」と呼ばれる世界の在り方が描かれる。オーウェル『1984』の二重思考の具現であり、究極の引きこもり、〈僕が考えた最強の異世界転生〉状態と言えるものだが、現実的にわれわれの実社会で開発が進められているメタバースはむしろこうした摩擦のなさ、都合のいい自己実現、そして管理社会の強化の方向性を持つものではないだろうか? 比べて『大転生時代』における「同期」の過程の衝突と摩擦、相互理解、融和、寛容の方向性に、ポスト・ヒューマンSFの新しい切り口を私は感じた。

攻殻機動隊 SAC_2045 公式サイトより

 十年一昔と言うが、この十年間の社会意識の変容を振り返っても実感されるわれわれの意識の変わりやすさを思えば、都合のいい夢に引きこもるよりも他者の意識と触れ合い変わっていくことにこそ人間らしさがある。われわれの意識はつねに体験と変容のためにひらかれているのであって、緩やかに他者の思考と同期し、われわれは変わりつづけている。差異に気づけないほど緩やかに、大転生時代は現世でもすでにもう到来しているのではないか。

 時雨の転生先となるヒュードリが存在している通称「デジャブ・ランド」は、現世とよく似た近未来的世界——二十年ほど未来を先取りした世界であった。土台が似ているからこそあちらとこちらの差異は際立つ。似ているからこそ、その未来はほんの少しの選択の差でわれわれの未来にもなり得るものにも思えるが、さて……。来るべき異世界との邂逅に備えてわれわれが鍛えておくべき力は、同じ時空の同じ地平を生きる他者との融和的な付き合い方だろう。そもそも現世の同じ土の上にも異世界はまだまだ発見されないままに存在しており、スポットは本のかたちをしている場合もある——。

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『大転生時代』(島田雅彦 著/文藝春秋刊)

 転職、転校、移住もいいけど、思い切って転生。

 というわけで、何を隠そう実は私も転生者。鈍器本で頭を殴られ気絶したのをきっかけにライトノベル界から純文学界へ転生した。世間からはチートで無双しているように見えているかもしれないが、内実はわりと杜子春のように支離滅裂なことになっている。島田雅彦はまさに私にとっての「ハニカミ屋」——黒洞仙人なのだった。芥川賞の選考会後に初めてその実物にお会いしたさい私はつい無礼にも「本物だ」と口走ってしまったのだが、「本物」の定義に疑いアリと仰りたげな反応をもらってやっぱり感動した覚えがある。せっかくなのでここで伏線を回収しておこう。そう、あの時すでに島田雅彦は島田雅彦ではなく、異世界の他者の意識を受け入れその知識と経験を同期した転生者となっていた可能性がある。いや、確信できる、人口の1%以上は転生者というけれど、小説家はもっと転生者の比率が高いはず。そして島田雅彦ほど、新作ごとにまったく見たことのない異世界を招き入れ、自らの意識と融合して、革新的な物語に結晶させるわざに優れた作家はいない。

 大転生時代とはまさに、作家の魂のために拓かれた、想像力の新航路なのだ。