「将棋の魅力は、シンプルに言うと“人間ドラマ”です。個性豊かな棋士たちが勝負を通じ、それぞれの物語を紡いでいく。そんな将棋の世界を、ただ趣味として楽しんでいたんです」
映画化でも話題となったベストセラー『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』をはじめ、恋愛小説で人気の七月隆文さん。本作では一変、熾烈な闘いが繰り広げられるプロ棋士の世界を描いた。
田中一義八段は、これまで5度タイトルに挑戦し、そのすべてで敗れた“悲運の棋士”。46歳という年齢は、棋士としてのピークをとっくに過ぎている。そんな彼が、6度目のタイトル戦挑戦を決めた。相手は、史上最年少でプロデビューを果たし、全盛期を迎えている“令和の覇者”源大河八冠。源八冠が勝つだろうという空気の中、一義は勝負にどう挑むのか。
「プロ棋士がコンピュータ将棋ソフトと対戦して話題になった電王戦で興味を持ち、藤井聡太ブームで気持ちが燃え上がった。でも、趣味を仕事にしてしまうと純粋に楽しめなくなるのではと思い、作品にすることは避けてきました。それが、中年棋士がラストチャンスとして若き王者に挑むという設定を思いつき、これは書きたいと思ってしまった。恩返しというとおこがましいですが、これだけ自分を熱中させてくれた将棋に対して何かしたいという気持ちもあって、もうやるしかないと覚悟を決めました」
およそ2カ月にわたるタイトル戦。その一局一局に、一義のこれまでの人生が反映されていく。淡い初恋、青春の輝きと苦い後悔。支え続けてくれた妻子や両親。弟子との絆――そして、過去の自分を超えること。まさに言葉通り、人生を賭けた勝負だ。
「これまでは学生を主人公にした話ばかり書いてきましたが、今回、46歳の中年男性を主人公にしたことで、まだ開けていなかった引き出しをバンバン開けることができました。主人公のモデルになった木村一基先生が、僕も含め、ファンに希望を与えてくれたので、同じように、僕と同世代や上の世代のおじさんがこの作品を読んで、頑張るぞという気持ちになってくれたら嬉しいですね」
互いを研究しつくした棋士同士は指し手で会話し、盤上でしのぎを削る。緊張や重圧、極限の集中とそこに潜む疲労。迫力の対局シーンは読みどころの一つだ。
「具体的な駒の動きを説明しつつ、将棋のルールを知らない人にも盤上で何が起こっているのか伝わるように書くのに一番苦労しましたね。対局シーンは、もう泣きそうになりながら書き進めました」
一方で、一局ごとの棋譜にもこだわった。
「勝負の流れに合うような棋譜を木村先生に作っていただきました。将棋がわからない読者も楽しめるというコンセプトではありつつ、何も用意しないまま書くと浅いものになってしまうので、きちんとしたバックボーンが必要だなと思ったんです」
他の棋士たちもまた個性を放つ。役目を終えたと言われる平成の王、プロ棋士になるのを断念した女流棋士。かつて麒麟児と呼ばれた一義の弟子は、今はプロ入りさえ果たせずにくすぶっている。さらに、AIの登場で研究にも将棋ソフトが導入され、「定跡」も変化する。厳しい勝負の世界で、それぞれの人間ドラマが生まれる。
「この作品のジャンルは『お仕事もの』だと思っているんです。将棋を知らない人にも、この世界の面白さを知ってもらえる作品になっているとお約束します」
ななつきたかふみ/大阪府生まれ。京都精華大学美術学部卒業。2015年『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』で京都本大賞受賞。他の著書に『ケーキ王子の名推理』『100万回生きたきみ』など。