石原裕次郎23回忌特番がきっかけで『ナニコレ珍百景』へ
―― どんな企画だったんですか?
芦田 国立競技場にお寺を持ってきたんですよ。裕次郎さんのゆかりのお寺(曹洞宗大本山總持寺)に来てもらって。国立貸し切って、空撮のヘリも飛ばして、何十台もカメラがあって、生中継。それのADをやりました。
―― 貴重な体験ですね。
芦田 この時に、演出だった保坂(広司)さんと出会えて、23回忌特番後、そのまま保坂班に引っ張ってもらえたんです。それで、『ナニコレ珍百景』のチーフADになりました。そこで入社3年目の終わりを迎えるんですが、初めて自分の企画(『キャラブレイク』)が通って特番の演出をしました。
――自分の特番を経験されてADからディレクターに?
芦田 いや、もう少しでディレクターになれるかもなという時に、今度は『関ジャニの仕分け∞』がゴールデンに上がるからチーフADが必要だと。保坂班の番組ではなかったんですけど、当時の部長に「ゴールデンのチーフADは重要な仕事だし、ジャニーズと向き合って仕事するのはいい経験だ!」って、また説得されて(笑)。奥川(晃弘)(現在第2制作部の部長)さんのもとで『仕分け』のチーフADをまた1年半ぐらい。正式にディレクターになったのは4年目の終わりぐらいですかね。
いろんな演出家の国に住めてよかった
―― AD時代は寺田班、保坂班、奥川班と、3つの班を経験されたんですね。
芦田 はい。で、『仕分け』時代の後半にディレクターからチーフディレクター的な立場にさせて頂いたですが、『仕分け』が終了を迎え、入れ替わりで立ち上がった『関ジャム(完全燃SHOW)』に異動しました。この番組の演出は『ロンドンハーツ』で有名な加地(倫三)さんの元で長くやられている藤城(剛)さん。そこで加地班というか藤城さんという演出家のイズムや、やり方みたいなのを学んで吸収しつつ、同じ音楽チームということで『ミュージックステーション』も手伝ってました。
――この間までに、バラエティ、報道、音楽番組といろんなジャンルを経験されているんですね。
芦田 そんな中、入社8年目の2015年ですけど、『あいつ今』の企画を出したら、それが通って、7月、8月末のトライアルが成功して10月から深夜でレギュラーに。初めての自分の企画がレギュラー番組にということもあり、さすがに番組を兼務できないだろうと判断していただき、「あいつ今」の総合演出とプロデューサーという立場になりました。
―― 先ほど「加地班のイズム」っておっしゃいましたけど、バラエティ演出のカラーの違いって実際にはどんなものなんですか?
芦田 たぶんどの局もそうだと思うんですけど、班が違うと国が違うぐらい文化が違うかもしれないです。完パケというゴールまで行く過程が全然違う。そういう意味では、僕はいろんな演出家の国に住めてよかったと思ってます。