荒木啓子(以下、荒木) 『大地の子守歌』は田中さん最後の映画になりました。
原田 のちのち私は23歳くらいでスランプに陥ったんですけど、そのときにいろんな女優さんの本を読んだんです。新藤兼人さんの『小説田中絹代』を読んだり『ある映画監督の生涯』(75年)を観たりして、どんな女優にもいい時もあれば悪い時もあるということを知ったんです。溝口さんと田中さんの愛憎関係というか、映画を作り続けた2人の関係が羨ましいなと思って、自分の溝口をさがさなきゃと思いました(笑)。
『大地の子守歌』の最後に、増村さんは私に「(女優として守っていくべき)四か条」を言ってくれたんです。ひとつはその時のマネージャーの言うことをよく聞くこと。それから、くだらない恋愛をしないこと。そして、「自分と同世代の監督を見つけなさい」。あとひとつは忘れちゃった。「君は猿みたいだから僕は分からない。君は君の同世代の一緒に走る若い監督を早く見つけなさい。僕は若尾(文子)ちゃんとやってきた」って。自分は一緒に走れるような監督に出会わないといけないんだなと、ずーっと思ってましたね。俳優だけでは変われない、演出家がいて作品があって大きなものに昇華していけるから、俳優も常に出会いを求めているんです。でも、溝口さん増村さんがやっていたころの映画界とは違って、次々に作品を撮ることはできない状況でしたから、すぐにその同世代のいい監督に出会うということはなかったですね。
荒木 (『青春の殺人者』の)長谷川和彦監督がもっと映画を撮っていれば……。
原田 (自分とは)1本だけですからね。今振り返ってみても、増村さんに出会わなかったら仕事を続けていなかったんじゃないかと思います。それだけ芝居の神髄をつかまされたというか。増村さんや黒澤明監督のような映画の神髄をつかむまでは諦めない人たちに出会ってしまったので、それがしみついているんですね。