9月21日に閉幕した第46回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)では、「生誕100年・増村保造新発見!~決断する女たち~」と題し、同監督の特集上映を行った。10日には『大地の子守歌』(1976年)上映後に、主演を務めた俳優の原田美枝子(65)が登壇。撮影当時の増村監督との思い出に始まり、『乱』(85年)での黒澤明監督とのエピソード、3回観たという『THE FIRST SLAM DUNK』(2022年)への熱い思いなどを語って、会場を沸かせた。
聞き手を務めたのは、『大地の子守歌』が大好きだという鶴岡慧子監督(『バカ塗りの娘』〔23年〕など)。PFFの荒木啓子ディレクターとともに、原田の映画製作に対する愛に感動を露わにした。当日の模様をレポートする。(全2回の1回目/2回目を読む)
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鶴岡慧子(以下、鶴岡)『大地の子守歌』を久しぶりにスクリーンで観ました。この映画を愛している人はたくさんいると思いますが、みんな(原田が演じた)「おりん」という役を愛していると思います。
原田美枝子(以下、原田)私この映画を撮った時、16歳だったんです。で、いま65歳なので、来年50周年になるんです。50年も前の作品について、昨日のことのように聞かれて、そして私が昨日のことのように答えられる。とても不思議ですね。
『大地の子守歌』は素九鬼子の原作。昭和初期の四国の山奥で野生児として育った13歳の少女りんは、一緒に暮らしていたばばが死んだ後、女衒の甘言に乗って瀬戸内海の島の売春宿に売られてしまう。過酷な運命にさらされながら決して人生を諦めないりんを演じた原田は、野山を駆け回り、先輩娼婦たちと取っ組み合いの喧嘩をし、荒れる海で小舟を漕ぎ、上半身ヌードも辞さないまさに体当たりの演技。続いて公開された『青春の殺人者』(76年)と合わせてその年の新人女優賞を総なめにした。なお、本作は大女優・田中絹代の遺作でもある。
もっと激しく、もっと悲しく、もっと強く
鶴岡 この役を16歳でお引き受けになったときはどういうお気持ちだったんですか。
原田 最初に素九鬼子さんの原作を読ませてもらっていたんですが、おりんは自分とは全然違う人間だと思って、それがなんだか面白そうと思いました。それで、当時私はデビューして1年くらいしか経っていないときだったんですが、増村さんにできたばかりの渋谷パルコの1階でお目にかかったんです。
鶴岡 おりんは強烈な役ですよね。撮影までは準備されたり監督とコミュニケーションされたりは?
原田 いえ、特になかったと思います。
鶴岡 現場に入られて役作りをされていった。