森友学園問題で「忖度」を促した人も
国税庁長官では佐川の前任者だったのが迫田英典である。2017年7月に辞職したが、森友学園の国有地売却交渉のころ、理財局長だった。在職中に発覚していたら、処分の対象になっていたはずだ。最近になって大阪地検特捜部が任意で事情聴取したのだから。
大阪地検の周辺捜査では、近畿財務局が森友学園側に「ゼロ円に近い額になるよう作業している」と答えたことや、撤去費を積算する国土交通省大阪航空局に費用の増額を依頼していたことが判明し、「忖度」を促した1人と言える。
迫田は山口県立山口高校出身。岸信介、佐藤栄作兄弟の後輩(旧制山口中学)にあたる。いまは、 TMI総合法律事務所、三井不動産の顧問。天下りである。
TMI総合法律事務所顧問就任時に、迫田はこう挨拶している。
「私の行政官としての経験が、皆様の法律実務の専門知識や経験と有意義な『化学反応』を起こすことを通じて、微力ながら何がしかの貢献につながれば、との思いを持っています。(中略)いずれにせよ、私にとっては新たなチャレンジが始まります」(同事務所ウェブサイト)。
行政官としての経験はどこまで信用できるだろうか。
「自分が日本経済に貢献しているという強い自負」
時計の針を20年ほど戻すと、悲しいかな、大蔵省82年組の処分者が浮かび上がった。証券局総務課課長補佐だったS・T(当時38歳)である。1998年3月、東京地検特捜部はS・Tを収賄容疑で逮捕。S・Tは、野村、日興、大和、山一の四大証券と住友銀行から総額約343万円相当の賄賂を受け取ったとして、収賄罪に問われた。証券会社などに対して金融商品の開発、証券投資信託約款の承認において便宜を図ったということだ。
当時の証券局幹部のキャリアが受けていた証券会社からの接待には「ノーパンしゃぶしゃぶ」での飲食が含まれていたと言われている。ミニスカートの下で下着をはかない女性店員が接待する風俗店だ。
同年11月、東京地裁はS・Tに懲役2年執行猶予3年、追徴金約338万円を科している。判決文での文言が手厳しい。
「自分が日本経済に貢献しているという強い自負が、キャリア官僚としてのおごりや自分が特権階級にある者だというごう慢を生み、接待をあたり前と思うようになった」
頭のよさは色を好んでやまないのか。
1998年、大蔵省82年組がもう1人、処分を受けている。形式上、同省を一度退職し、自治省から愛知県に出向していたS・S(当時39歳)である。
S・Sは、銀行局保険部保険一課の課長補佐時代の1994年ごろ、1回数万円の飲食接待を何度も受けたり、大手生命保険会社のMOF担(大蔵省担当者)に携帯電話の料金を支払わせたりしたことが問われて、愛知県を退職することになった。S・Sは辞職し、退職金を自主返納している。
もうすこし時をさかのぼると、大蔵省82年組の悲劇を知ることができる。
1992年11月、理財局資金第二課課長補佐のU・N(当時33歳)は、神奈川県横須賀市観音崎灯台展望台から飛び降りて自死した。一橋大経済学部出身。