まもなく定年を迎える大蔵省82年組
大蔵省82年組はまもなく定年を迎える。最後のおつとめで公僕としての役割を全うしようとする財務神童たちがいる。彼らなりに頭のよさを国のために使ってくれた。
遠藤俊英(金融庁監督局長)は山梨県立甲府南高校、東京大法学部出身。金融庁勤務が長い。2014年、検査局長時代、地方銀行再編が問われていた。遠藤は地銀の横並び的体質にこう釘をさしている。
「金利競争に陥らず、差別化した戦略に取り組む銀行は少ない」(朝日新聞2014年11月12日)。
有働忠明(国税不服審判所次長)は麻布高校、東京大法学部出身。東京大に合格したとき週刊誌の取材に、将来の夢は「弁護士志望」、最高の思い出は「小学校2年から書を習い、日書展金賞受賞」と答えている(「週刊朝日」1977年4月1日号)。
上野善晴(日本政策金融公庫専務取締役)は、福岡財務支局長、大臣官房参事官、岩手県副知事、理財局次長を経て現職にある。大蔵省入省前に取材に応じており、こう話している。
「出世欲はない、次官になりたいとは思わない。でも、人物的に認められる人間になりたいと思うけどね。そう、日本にとって必要な人間と思われること」(「フォーカス」1981年12月11日号)。
ほかに、池田唯一(金融庁総務企画局長)、後藤真一(税務大学校長)、冨永哲夫(国土交通省政策統括官)がいる。冨永はラ・サール、東京大法学部出身。近畿財務局長時代に森友学園問題が起こっており、冨永にも疑惑の目が集まった。
長友哲次(退職時は横浜税関長)は「若年層の不正薬物の濫用や危険ドラッグの流入が危惧されているという認識を示し、「不正な薬物の流入を防ぎたい」と抱負を述べた(朝日新聞2016年8月5日)。2017年7月、大蔵省82年組同期の小鞠昭彦(退職時は国税不服審判所次長)、岡田則之(退職時は東京国税局長)とともに辞職している。
小鞠は岐阜県立関高校、東京大法学部出身。同校からの東京大合格者は少なく、戦後、関が6人目で地元のスターだった。岡田は早稲田大政経学部出身で入省時に後輩にエールを送っていた。
「早稲田の後輩を含めて、私学の諸君! 就職は個人の問題だ。気後れせずに官庁の門を叩いてくれ」(「フォーカス」1981年12月11日号)。
同じころ、大蔵省82年組の梶川幹夫(退職時は関税局長)、根本洋一(退職時は財務総合政策研究所長)も辞職をした。梶川は東京学芸大附属、根本は栄光学園から東京大法学部に進んだ。2016年6月には棚橋裕之(退職時は国税不服審判所次長)が辞めている(以上、新聞の「人事異動」記事から)。
2017年4月、信州大経法学部長に山沖義和が就任した。
山沖は慶應義塾大経済学部出身。大蔵省、財務省時代は金融監督庁、イタリア日本大使館、国税庁などにつとめた。税務畑を進み、マイナンバー制度に詳しい。
「新しい社会の課題に果敢に取り組む若い人材を育成するため、斬新かつ魅力的な教育内容を展開すべく不断の努力を続けてまいりますので、多くの若者が信州松本の地に集い、信州大学経法学部で私たちとともに研鑽されることを期待します」(同学部ウェブサイト)。
学生には、財務省が引き起こしたことを大蔵省82年組の1人として説明してほしい。