当時はやりたいこともないし、どうしていいかわかんなくて。死にたいとは考えたけれど、できなかった。ただ母とは一緒にはいられない。一人暮らしをするにも、お金が必要になってコンパニオンの仕事を始めました。
加熱式タバコを全国で一番売った“最優秀キャンペーンガール”に
――引きこもり生活からいきなりコンパニオン。振り幅がすごい。
日下部 最初は1日だけできる仕事をしました。人と話すことに緊張もあったんですけど、やってみたら周りからもうまいじゃんと褒められて、楽しくなってきたんです。コンパニオンの仕事を始めたことで実家からも出ることができました。
その後に加熱式タバコが発売されたことで、イベント会場や特設会場でのキャンペーンガールをやり始めました。当時は加熱式タバコを全国で一番売って、2年連続で最優秀キャンペーンガールになりました。
仕事ではコミュニケーションに気をつけてました。最初はどういう風に打ち解けたら相手が話しやすいかなとか、これまでどういうものを吸っていて、どういう生活習慣なのか会話から理解して、じゃあこういうところからアプローチしようとか。フレーバーが何種類もあるんですが、じゃあこの人にはこれを薦めようとか。
タバコの会社から「就職しないか」と誘われたが…
――それだけの知識があったら、就職の誘いもありそうですね。
日下部 実際、タバコの会社から「就職しないか」と誘われて、「やった」と思って就職しようと思ったんです。営業だから自動車の免許が必要と言われて、免許を取りましたし、やる気満々。「この仕事は絶対自分には合っている」と思ってたんですが、「就職しないか」と言ってくれた人よりも上の方が「キャンペンガールは入れない」と言ったそうで、就職の道がなくなってしまって……。
当時キャンペーンガール以外にコンパニオンや撮影会モデルもやっていたんですが、就職できると思ったから、全部やめてしまって。それで仕方がないので、投資用マンションの勧誘の会社に入ったんです。
撮影=細田忠/文藝春秋