9月23日(月)から再放送が始まる『カーネーション』は、脚本家・渡辺あや氏の“イタコ”的「台詞力」もさることながら、構成面にも唸らされることばかりだ。

  よく、映像作品への評価として「伏線回収の妙」とか「群像劇として優れている」というような言葉が用いられるが、この名作には通用しない。「小原糸子というひとりの人物が大阪は岸和田で生まれ、育ち、生きて、生涯を終えた」その周囲の様子、社会の様子が「生身」のものとしか思えないからだ。(全2本の後編/前編を読む)

伝説と化した「オノマチ編ラスト」の127話。糸子(尾野真千子)は岸和田に骨を埋めることを誓う(NHK公式サイトより)

渡辺あやの「作家性」を活かした朝ドラ

  制作統括の城谷氏は、連続ドラマに初挑戦、それもいきなり朝ドラ、という渡辺あや氏を脚本に抜擢したが、企画採択者たちにも《その筆力を疑われることはありませんでした》としたうえで、こう続けている(洋泉社『連続テレビ小説読本』)。

ADVERTISEMENT

『朝ドラ』というひとつのジャンルのなかに渡辺さんの表現を収めきれるのか、というような、プロデューサーの私に対する不安のほうが大きかったようです。それを払拭するために、シリーズの最後までの詳細なプロット、プランを書いて提出したりしました。

 

  僕は、朝ドラは“連続ドラマってこんなもん”“こうすれば視聴者が掴めるんだ”という小手先の技術論が通じない世界だと思っています。テクニックで見せるものではなく、毎日送り届けるもののなかに『伝えたい大切なこと』をどれだけ落としこんでいけるかということがテーマです。

  渡辺氏の類稀なる筆力と、力強く下支えするスタッフの叡智が響き合って、あの見事な構成が出来あがったことがわかる。スタッフは渡辺あやという「作家性」を最大限に活かし、渡辺氏も「半年間、毎日放送される朝ドラに求められるもの」に全身全霊で応えた。

岸和田に根を下ろすヒロインが見つけた「自分のだんじり」

  主人公・糸子は、岸和田で生まれ育ち、そこに根を下ろし、岸和田で一生涯を終える。それまで、地方出身のヒロインが東京や大阪などの都会に出る、あるいは再び故郷に帰るという「場面転換」があるのが定番とされきた朝ドラにおいて、『カーネーション』は異色といえる。

  もちろんモデルの小篠綾子さんの人生をなぞった形ではあるのだが、糸子が岸和田から動かないからこそのダイナミズムがあり、場所を動かさないからこその「連続性」がこの物語の要となっている。その鍵となるのが「だんじり」だ。