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「美しいおばあさん」になるための並々ならぬ努力と気配り

ーー『わが孫育て』に佐藤さんはこう書いている。〈自分が七十を遥かに過ぎてみてわかったことが、「美しいおばあさん」になるには並々ならぬ努力と気配りが必須条件だということである〉。『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』には、〈八十歳を越えているのに、六十代に見えるという(それを自負している)いつも元気イッパイのK子さん〉が出てくる。

響子 お化粧に熱心な同世代には厳しいですね(笑)。母と同世代のお知り合いに「昔モテた」と自ら語る方がいて、おしろいがどんどん厚くなっていったんです。もう亡くなられましたが。

桃子 その人のことは、辛辣だった(笑)。

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響子 年齢に抗うより、「構わない」ことに価値を置いているんです。精神力とか精神的な強さとか、そんなことをよく言います。

桃子 容姿の衰えをくよくよするなど、軟弱者だという考えで。小さい頃から、「心に錦をまといて身に襤褸(らんる)をまとう」と言われていました。襤褸っていうのはボロのことだよって。

孫の桃子さんと北海道の別荘で ©文藝春秋

響子 お説教が好きだから(笑)。世間の価値観に対してのお説教を私たちにするんです。

桃子 でも、フェイスシャドウを買ったんだよね。

響子 ノーズシャドウね。私が小学生の頃、薬局の化粧品売り場で母が、「鼻を高くするようなものって、何なんでしょう?」と聞いたんです。「人に頼まれたもんでね」と言い訳しながら。

桃子 あの人に頼む人はいないと思う。

響子 そこですすめられたノーズシャドウを買って帰り、気づいたら減っていて。「ママが使ってるのね」と言ったらゲラゲラ笑って、「鼻高化粧しなくちゃね」って。自分の顔のここが嫌というのは誰しもあって、母には鼻だった。

直木賞贈呈式での佐藤愛子さん ©文藝春秋

桃子 濃い赤の口紅を選んだり、セルフプロデュース能力が高いところはあると思います。まだ祖母がもっと若かった時、もし自分が老耄(ろうもう)して、写真取材を受けていたらその時は止めてと母に言っていたんです。老耄した自分を世間に晒したくないからって。それもその一環だと思います。

響子 誇り高くありたい人なんです。

●濃紺地に井桁を表した小紋を母のシナさんから受け継いだ話、3、4日かけて行った虫干しや畳紙に「天皇陛下」と書いた驚きの理由、着物をリフォームしたワンピースをお召しの写真、そしてお電話でうかがった佐藤愛子さんとの一問一答など、記事の全文は『週刊文春WOMAN2024秋号』でお読みいただけます。

娘・杉山響子

すぎやまきょうこ/1960年生まれ。玉川大学文学部卒。両親の離婚後は、母の佐藤愛子と暮らす。

孫・杉山桃子

すぎやまももこ/1991年生まれ。立教大学文学部卒。現在は「青乎(あを)」として、映像や音楽作家として活動。

さとうあいこ/1923年大阪府生まれ。甲南高等女学校卒業。1969年『戦いすんで日が暮れて』で第61回直木賞受賞、2000年、65歳から執筆を始めた佐藤家3代を描く『血脈』の完成により第48回菊池寛賞受賞。2017年旭日小綬章を受章。

聞き手・文 矢部万紀子