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「老老介護」の日々の切実さ

 男らしいことを言っていた父でしたが、私が試しに持ってみてもずしりと重たい荷物です。父は袋を両手にぶら下げて、えっちらおっちら歩いていましたが、しばらく歩くと、

「やれ、たいぎいのう。ちょっと休もうかのう」

 と、よその家の軒先の腰かけに座り込んでしまいました。そうやって、家に着くまでに何度休んだでしょう。だけどしばらく休むと父は、

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「立たねば何事も始まらん。頑張るぞ!」

 と自分を鼓舞してまた、立ち上がって歩き出すのです。私はそれを撮りながら、ホントはカメラを回してる場合じゃないよなあ、私が荷物を持たなきゃいけないよなあ、と娘としての良心の呵責と闘っていました。

 特に、家のすぐそばまで戻って来たときに、父が道の真ん中に立ったまま、荷物を地面に置いて下を向いて動かなくなり、本当にどうしようかと思いました。10秒近く全く動かないのです。私は遠くからカメラの液晶画面越しに見ていたのですが、「あれ、どうしたのかな、やばいな」と不安が募ってきて、カメラがカタッと揺れています。その瞬間「カメラを止めて助けに行こう」と思った自分の心の揺れを、そのカタッと揺れる映像を見るたびに思い出します。

 でも……その次の瞬間、父は顔を上げて、また前へと歩き出したのです。

 ホッとすると同時に、私は、どうか近所の人が私たちを見ていませんように、と祈るような気持ちになりました。誰かにこんな姿を見られていたら、「信友の娘は何をやっとるんじゃ。親に大荷物を持たせて、遠くからカメラで撮りよったが」などと、変な娘だと噂になるのは間違いないからです。

 こんなに大変なことになっていたのか……。私は愕然としました。父は「いつもこれぐらい買うて帰りよるんじゃ」と言っていた。ということは、私がいないときは、毎回こうやって、ふうふう言いながら重たい荷物を運んでいるのか。

 カメラを回すという目的があったからこそ、私のいない両親の日常を追体験させてもらえたわけですが、90代の父が母を介護する「老老介護」の日々の切実さを、改めて目の当たりにした思いでした。