「今年はぼけますから、よろしくお願いします」。当時87歳の母は、娘に突然宣言した。フリーの映像ディレクター・信友直子さんが監督を務め、広島県呉市の実家で暮らす認知症の母と耳の遠い父を撮り続けたドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』は2018年に異例の大ヒットに。同名の信友さんの著書(新潮文庫)から一部を抜粋して紹介する。(全4回の2回目/#3に続く)

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父は母の異様な寝姿にギョッとするだろうか?

 そして数分後。映像はじゅうぶん撮れたので、さすがにカメラを置いて手伝おうと思った、そのとき――。今度は、父がトイレに行こうとして、廊下に現れたのです。

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 わあ、次はどうなるんだろう?私は再び興奮してカメラを構え直しました。

 父は母の異様な寝姿にギョッとするだろうか?はしたないと怒るだろうか?それとも、母のそんな姿にカメラを向けている私の方を叱るのだろうか?

 しかし……。父は、特段、何のリアクションも見せず、

「しょんべん、しょんべん」

 と言いながら、寝転んでいる母をひょいとまたいで、そのままトイレに向かったのです。

 私は思わず吹き出してしまいました。そうか、まさにこれが今の信友家のリアルなんだな。母が廊下に寝転がるのも、父が寝ている母をまたぐのも、昔のきっちりした生真面目な二人なら考えられなかった光景だけれど、年をとってネジがゆるんできた今の二人にとっては、お互い大して気にもならない、普通の日常なんだ。

「まだ洗濯機は回りよらんのか。まあ、ゆっくりやりんさい。わしが昼ごはんの弁当を買うてくるけん」

『ぼけますから、よろしくお願いします。』(新潮文庫)

 母にそう声をかけながら、ひょこひょことトイレに行く父の姿は、なんだかゆるキャラみたいなかわいらしさで、本当は深刻な事態のはずなのに、私はほほえましさすら感じていました。

 こうやってビデオカメラを回しながら両親の様子を観察していると、私の精神状態にも変化が生まれてきました。一言で言うと、なんだか楽しくなってきたのです。

 それまでは母の異変に対して、「情けない」「悲しい」「心配だ」といった負の感情しか抱けなかったのですが、「おもしろがる」ことができるようになってきました。なぜ、おもしろがれるようになったのか?それは、少し引いた目で両親のことを見られるようになったからだと思います。

 カメラを構えると自然と「ヒキ」の視点を持つことになります。すると、娘として「ヨリ」で見ていたときには「情けない」としか感じられなかったことが、実は案外、笑えたりするんだな、と気づくようになったのです。「ぼけたおばあさんと耳の遠いおじいさんの、ちょっとずれた、嚙み合わないやりとり」には、いい具合にとぼけた味もあります。私はしだいに両親のことを、「なんだかこの二人、ほっこりするなあ。いいキャラだなあ。愛らしいなあ」と思うようになっていきました。

 そして思い出したのが、喜劇王チャップリンのあの名言です。