1ページ目から読む
3/5ページ目

力ずくで首にロープをかけられるまで執行室で50分間暴れた巨漢の男

 前述した「藤沢女子高生殺害事件」の佐藤虎実の場合、ロープの下がった執行室で何と50分もの間、複数の刑務官を相手に「最後の格闘」を続けたという。身長180センチ、体重100キロ以上という巨漢の佐藤は、最終的に力ずくで首にロープをかけられ息絶えたというが、想像するのも憚られるような地獄絵図が繰り広げられたに違いない。

佐藤虎実の逮捕を伝える記事(1967年1月18日朝日新聞)

 確実な死を目前に控えた人間がとる行動には、予測がつかない部分がある。そのことは、死刑をめぐる告知のありかたの変遷にも深い関係がある。

 いつから死刑囚への告知が当日になったのか。そしてその理由はいかなるものだったのか。これについて「定説」とされているのが、1975年に起きたある死刑囚の自殺だ。

ADVERTISEMENT

 同年10月、福岡拘置支所(現・福岡拘置所)に収容されていた「筑後市ボーナス強盗殺人事件」の津留静生(享年43)が、翌日の死刑執行を告げられたところ、執行当日の早朝5時に、隠し持っていた安全カミソリで手首を切り自殺するという事件が起きた。

執行の告知を変える契機となったとされる津留静生死刑囚の自殺(1975年10月26日朝日新聞)

 これ以降、それまでの事前告知が執行当日の告知に切り替わり、死刑囚の処遇もより厳格管理される方向に進んだとされる。

 実は、この1カ月前にも東京拘置所に収容されていた死刑囚が自殺していた。「大田原セールスウーマン殺人事件」の前田孝(享年34)である。前田の場合は執行の告知を受けての自殺ではなかったが、絞首刑の執行によって初めて確定判決の遂行完了となる死刑囚の自殺は、矯正行政の現場にとって特に重大な事故とされる。

津留死刑囚が自殺する1カ月前にも前田孝死刑囚が自殺していた(1975年9月5日朝日新聞夕刊)

 1999年の参院法務委員会において、福島瑞穂参院議員の質問(告知時期の変遷理由)に対し、坂井一郎法務省矯正局長(当時)は次のように答弁している。

「お尋ねのように、かつてそういうこと(事前告知)があったことは承知しておりますけれども、逆に申しますと、そういうことをしたためにいろんな弊害も出てきて、端的に言いますと死刑囚が死亡するというようなこともございますし、それから現場の感覚からすると、やはり事前に告知するということは心理的負担が大き過ぎるということで、むしろそういうことからやめていったというふうに 我々は承知しております」

 死刑囚の自殺が、当日告知への変更につながる要因となったことは間違いないが、それだけが理由というわけでもない。