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その先にあるのはまさにディストピア

 年寄りを自宅で看ていれば、要介護度に関わりなく、自分の体調は二の次、三の次になる。家に一人置いておくわけにはいかず、かといって自分が検査を受けたり治療するために遠方の病院に同行させるのも難しい。

「病気が見つかって入院とか言われると、おばあちゃんを看る人がいなくなるので、いくら具合が悪くてもお医者さんにはいかない」と当たり前のように語った知人もいた。

 政策上意味がないと見なされるのか、こんなことは表には出ないし、話題にもならない。

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 高齢化が進み、寿命が尽きた後も死なせない医療技術だけが発達し、その一方で医療福祉関連の支出がふくれあがる中、負担を丸投げされた家族が形ばかりの公的支援の中で疲弊し、病み、次世代を巻き込んで崩壊していく。少子高齢化ばかりが元凶とされる問題だが、人も他の生き物と同様、生きて、寿命が尽きて死に、次世代に取って代わられる存在だ。自然な生死のサイクルが歪められている。その先にあるのはまさにディストピアだ。

写真はイメージ ©AFLO

伝説のフレンチレストランへ向かったが…

 4月2日の夕刻、乳腺クリニックで紹介状をもらったその足で築地に。

 翌日は9時までに聖路加国際病院で受付を済ませなければならず、夫と2人、聖路加ガーデンにある銀座クレストンホテルに宿泊した。

 受診前夜のプチ贅沢に、壮行会を兼ねて築地の寿司とビールで夕食のつもりだったが、電車とバスを乗り継ぎ2時間半の長旅に加え、いよいよ明日執刀医と面談が、という緊張感もあって、チェックインして一風呂浴びたら疲れてしまい、繁華街まで出かける気力が失せた。ルームサービスを頼む趣味もないので、近場で済ませることにする。

 聖路加病院は噂と伝説に事欠かないところだが、最上階にフレンチレストランがあって出産を控えたセレブがお相手とご飯を食べている、というのもその1つだ(実際にはレストランは病院の建物ではなく、道路を隔てた向かい側のタワーのてっぺんにある)。ならばとそのタワー最上階に勇んで出かけてみたが、エレベーターを降りたとたんに残っていた気力が失せた。

 その店のおしゃれで高級感溢れるたたずまいは、20余年のよれよれブラウス姿の風呂上がりおばさんと憂鬱そうな面持ちのバーコード亭主が入るには敷居が高い。そのままUターンし地下のとんかつ屋で夕飯を済ませ、早々に部屋に引き上げる。

 眼下に流れる隅田川の暗い川面を眺めていると、ようやくここまで来たか、と奇妙に感傷的な気分になった。

 生まれてくるときは出生届1枚で済むのに死んだときは山のような手続きがある、とはよく聞く話だが、入院、手術も同様、とにかく目が回るほど忙しい。

 所属している保険組合、生命保険会社、役所への問い合わせ、諸々の書類の作成。その合間に母のところに顔を出し、親類に頼みごとをし……それより肝心なことがあった。

 今後の入院、手術、通院。この先、どんなペースで仕事ができるかわからない。

 この5、6年は、母の相手をしながらの執筆でかなりペースダウンしていたが、ここに至って、いったん停止しなければならないかもしれない。