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司法試験に合格するため1日14時間以上の猛勉強

ーー先ほど子供のころは、「貧しかった」とのお話でした。経済的に苦しかった家庭で子供2人を東京の大学に進学させて、ご両親は大変だったのでは。

山之内 本当に感謝しています。特に母ですね。母は無学なのですよ。読み書きができませんでした。それでも、子供に対する愛情がありました。昼間の商売だけでなく、夜は日本橋の黒門市場で、てっちりの夜店をやっていまして。夜、寝ないで店の前で屋台を作ってそこで商売をして。父の魚屋だけでは十分ではなかったので。

©深野未季/文藝春秋

ーー大学に合格してご両親は喜ばれたのではないですか。

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山之内 息子たちの進学はすごいことだと喜んでくれましたが、どれほどの意義があるのか、将来性があるかは分かっていなかった。長男が合格し次男も続いた。ただ、東京で勉強するための生活を支えようという強い愛情はありました。兄は後に公認会計士の試験に合格したのですが、会計士や弁護士がどういう仕事かも分かっていませんでしたね。

ーー学生生活の4年間はどのように過ごしていたのでしょうか。

山之内 勉強は毎日、狂ったようにやっていましたね。法学部の読書室で朝の8時半から夜の7時まで。下宿でまた12時近くまで勉強です。大学の授業にはほとんど出席せず、ギリギリ(単位を)取れるだけ。後は徹底的に司法試験の勉強でした。日曜日だけは休んで、高田馬場の安い映画館で3本立てとかを観るのが楽しみでした。

©深野未季/文藝春秋

ーー友人やアルバイトの思い出は。

山之内 友達を作ったらダメだというのが分かっていたのでいませんでした。楽しくなってしまって、そっちに流れて気が散ってしまうので。アルバイトもしませんでした。アルバイトをしていた人は(司法試験に)通りにくかった。

大学を卒業後、1年半で司法試験に合格

ーー仕送りの恩に応えるためにも必ず司法試験に合格するという気持ちだったのですか。

山之内 大学の目標はそれひとつでした。大学を卒業後、司法試験の浪人を1年半して合格しました。弁護士になってからは、ずっと(両親に)生活費を渡していました。亡くなるまで。

ーーこの時代1年半での合格は早い方ですね。

山之内 早い方でした。かなりな年になっても、いまだに受験しているなんていう司法試験浪人という人たちは多くいました。今は合格者が多くなり、逆に弁護士の数が多く飽和状態。稼げない人もいますね。今は弁護士といってもそれほどおカネにならないです。