長らく山口組の顧問弁護士を務めた山之内幸夫氏は、現在はユーチューバーとして活動している。山之内氏はなぜ顧問弁護士を退いた現在も発信を続けているのか。話を聞いた。(全3回の3回目/最初から読む

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山之内幸夫氏 ©深野未季/文藝春秋

ーー山口組の顧問弁護士はいつまで担当されていたのでしょうか。

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山之内 最終的には、69歳までやっていましたが、41歳だった1987年に弁護士会から、「顧問弁護士はいけない」と訓戒処分を受けたんです。それで表向きは辞めたのですが実質的には相談を受けることもありました。ただ1991年に僕が恐喝事件で逮捕され、保釈の条件が「山口組と接触しないこと」だったので、裁判の間は顧問としての活動が止まりました。6年かけて無罪を勝ち取ると、当時山口組の最高顧問だった岸本才三さんに誘われて、「元」顧問弁護士で69歳だった2015年まで続けていました。

弁護士資格を失ったきっかけは

ーーその間には、1991年に暴力団対策法ができるなど、暴力団を取り巻く環境は大きく変化してきました。

山之内 暴対法は、用心棒代の徴収などの暴力的な要求行為を防ぐ行政指導を可能にする法律です。それまで警察は「民事不介入」で暴力団のシノギに手出しができなかったのですが、それが可能になったんです。ただ私は法律を読んで「恐喝、強要で逮捕される前に中止命令が来るから、その時にやめればいいならむしろ楽かもしれない」と、組長たちに講義したこともあります。

山之内氏のYouTubeより

ーー山之内さんが2015年に顧問弁護士を辞めたのは、建造物損壊教唆罪の有罪が確定して弁護士資格を失ったのがきっかけだと思いますが、どのような事件だったのでしょうか。

山之内 これは山口組とは関係ない民事事件なんです。車の修理工場をやっている人がいて、事件師に工場を封鎖されてしまって中に入れなくて困っていたので、「スレート(工場の入り口に設置してあった波状の板)を壊して入ったら」とアドバイスしました。これを依頼者が録音していて警察の耳に入ったんです。