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病院に行ったら果物ナイフを突き出され...弁護士事務所時代に遭遇したヤクザたち

ーー大阪で弁護士登録し損害保険会社の顧問弁護士事務所に就職なさった。どのような仕事だったのでしょうか。

山之内 損保会社が対応しきれない面倒な交通事故の処理をしていました。被害者の代理人と称した、暴力団とか右翼とかを名乗っているような人たちが、実際には何の症状もないのに「むち打ち症になった」と言って賠償請求してきたりするんです。しかも加害者ではなく保険会社に因縁付けて脅しに来る。それに対応するのですが、ほとんどは実態のない賠償請求だったので詐欺か恐喝だと思っていました。

©深野未季/文藝春秋

ーーこの時代は暴力団を規制する法律がなく、暴力団による民事介入が日常茶飯事だったのですね。

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山之内 警察は民事不介入ですから。後に暴力団対策法で禁止規定が設けられましたが、示談屋の行為、この時代はすごく流行っていました。

ーー弁護士になったとはいえ暴力団に対応するノウハウはない。自分で対処方法を考えたのですか。

山之内 弁護士事務所のボスは忙しすぎて構ってくれないので、自分でやるしかなかったです。そういった面倒な案件を嫌がらずにやっていたらボスに頼りにされて暴力団の案件ばかり回ってくるようになりました。私としては暴力団に弁護士が負かされてたまるかと、プライドだけでやっていました。

ーー弁護士になった際、ヤクザと接点がある仕事をすると思っていたのでしょうか。

山之内 全然。それまでヤクザなんて全く関心がなかったですもの。大学時代も若いころも。

©深野未季/文藝春秋

ーーヤクザを相手にする怖さは。

山之内 少しヤバいなと思ったことはありましたけどね。電話で散々、言い合ったあと、『お前、来い』というから、入院先の病院に行きました。病室に入ったら果物ナイフで突っかかって来たことがありました。その人は何回も事故を起こしている人物でした。

ーー交通事故処理の仕事をしながら、競売屋ともやり合ったと。

山之内 誰かの不動産が差し押さえられて競売になった時に、ヤクザがその物件を占有して誰も落とせなくしてしまうんです。そうして値段が下がったところでヤクザ自身が安く買いたたいて、転売で儲けるのが『競売屋』です。私は依頼者から頼まれて、ヤクザに明け渡しの交渉に行ったこともあります。本来なら裁判所に仮処分請求をするのですが、時間がかかるため私が直接交渉に出向きました。すると暴力団員がゴロゴロいて『お前、何じゃ』『弁護士がどないした』と凄まれました。

ーーそれは出て行ってくれたのですか。

山之内 全然、全然。