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―― これからの時代に大林監督だったらどんなものを作ったんだろうなという思いはありますよね。今、映画の作り方がどんどん変わっていく時に。それまでも自由だった大林さんの枠をデジタルが取っ払って、その先どうなるんだろうというのは見たかったですよね。

千茱萸 きっと誰も見たことのない、そして誰も思いつかないような作品を作り続けたと思います。面白くすることに対しての飽くなき追求はすごかったですから。

恭子 50歳で映画をやめて小説を書くと言っていたんです。でも、それは不可能で、結局最期までフィルムを回すことになるんですけど。50歳でやめたら、あとは2人で8ミリを持って、また九州から北海道まで2人で撮って回ろうみたいな話をしていたんです。実現できなかったけど、やりたかったなと思うんですけどね。

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―― そうか。そうですね。そういう映画の作り方もあり得たかもしれないですね。

『海辺の映画館-キネマの玉手箱』メイキング ©大林宣彦事務所

1時間半ぐらいの小編を撮ろうと言っていたのに……

千茱萸 でもそれには笑い話もあって、『理由』のあとあたりからだったか、新しい作品をスタートするときに「今回は8ミリみたいにプライベートフィルムっぽく撮ろう」って言うんです。でも、いざ始まってみると、途中から「あれ?」となって――。

恭子 どんどん大きくなって。

千茱萸 そうそう。1時間半ぐらいの小編を撮ろうなんて言っていたのに、ふたを開けると3時間ぐらいになってる。私が「また3時間になったね」と言うと、「いや、2時間59分と18コマだから」と言い張る(笑)。

―― (笑)。『海辺の映画館』も1時間半って言われて脚本を書いたんですけど、いつの間にかすごいことになっていました。

千茱萸 最期まで(笑)。どこまでも足し算、もしくは掛け算の人でした。フィルムで培った技術がまずあって、デジタルになったらデジタルの面白さみたいなもの、フィルムではできなかったことをやろうと。デジタルという新しいおもちゃを手に入れた監督は、まるで永遠の命を手に入れたようでした。

恭子 そう。三本木さん(注1)も大変だったわね。

©藍河兼一

―― 編集マンとカメラマンが同じ人というのは、大林さんとしては有難かったでしょうけど。

千茱萸 例えば監督は編集中に「ここにコーヒーカップが欲しいね」と閃くと、すぐ三本木さんにカメラを出してもらって撮って足してしまう。

恭子 三ちゃん、終わらないんじゃないかと思ったって言ってたから(笑)。でも本当に最後、終わらないんじゃないかと思いましたね。

千茱萸 「終わりたくなかった」んですよね、本人は。

恭子 これが最後って自分でも分かっていたと思うので。だから終わりたくなかったんだと思います。