若者を故郷に呼び戻す「力」
ところで、大野の地下水には不思議な「力」があるようだ。それが若者を故郷に呼び戻している。
牧野俊博さん(38)は2014年、大野の中心街で初めてのコーヒー専門店を開いた。
市内の高校を卒業後、東京の大学に進学し、そのまま東京で就職した。田舎が嫌いで大野に戻る気はなかった。が、母の病気で帰郷することになる。当時は20代半ば。また出て行く機会をうかがっていた。
これを変えたのがコーヒーだ。東京では趣味で「名店」を飲み歩いていたが、帰郷して自分で淹(い)れると、どんな店より美味しかった。
「秘密は水でした。コーヒー豆は収穫後、多くの人の手を経て劣化し、味が落ちます。しかし大野の水で淹れると、コーヒー豆が本来持っていた甘さを引き立てるだけでなく、優しい味になるのです。よその水だと、渋味や、えぐ味が出るなど、歴然とした差が感じられます」
大野で店を開こうと決意するが、「田舎」でコーヒー専門店が成り立つかどうか自信がなかった。
「でも、ここにしかないコーヒーを出せたら、大野の人に喜んでもらえる。よそからも飲みに来てもらえるのではないかと考えました」
読みは当たった。牧野さんの開店後、大野の中心街ではカフェが5店舗ほどオープンし、今では「水のまち」の看板の一つになっている。
高柳亮太さん(36)も水に驚いた一人だ。牧野さんの開店の前年、近くでパン屋を開いた。
大野生まれの大野育ち。県内の大学を卒業後、福井市などの店で修業を積み、帰郷して一人立ちした。
「修業先と同じ材料、同じ工程ですが、ふんわり、もちもちして全然違ったパンになります。日持ちもします。異なるのは水だけなのに……」
評判は県外にまで伝わり、石川県や岐阜県から買いに来る人もいる。
大野の若者は、進学や就職で故郷を離れると、水のまずさに泣く。高柳さんは「臭くて飲めなかった」と話す。それでも多くの人が折り合いを付けながら、都市に住み続けるのだろう。「ただし、僕らのように大人になってもう一度、水に感動したら、大野に帰ろうという気持ちになるかもしれません。そうした機会を多くの若者に作れないかと思うのです」と、高柳さんは話す。
県外に出て、水のまずさに泣いたUターン者
牧野さんは16年、水道工事会社経営の山岸謙さん(43)、文具店経営の伊藤修二さん(42)と3人で、「CROP」というグループを結成した。CROPとは収穫物を意味する英語だ。いずれも一度は県外に出て、水のまずさに泣いたUターン者だけに、大野の素材で大野の魅力を発信できないかと模索している。
手始めに東ティモール産コーヒーのドリップバッグ(カップに載せて抽出する1杯分入りのフィルター)を作った。市は「水に恩返ししよう」と市民や企業に寄付を募り、02年にインドネシアから独立した東ティモールの水道建設を支援している。水の乏しい同国には水汲みで学校へ行けない子が多いのだ。世界貢献で水の大切さを再認識すると同時に、市民に大野の魅力に気づき、誇りを持ってもらおうという施策である。
これに共感した3人は、ドリップバッグの売り上げの一部を水道建設のために寄付し、あわせて大野の水で淹れたコーヒーの美味しさもアピールしようと考えた。露店営業の許可を取り、催しでコーヒーを淹れるなどの取り組みをしている。
3人は1月、大学入試センター試験を直前に控えた受験生が自習する施設で、コーヒーを振る舞った。
「僕らは田舎は面白くないと刷り込まれて育ちました。でも、離れて初めて素晴らしさに気づきました。後輩達にも気づいてほしい。あの日のコーヒーの味をいつか思い出してもらいたい」と、3人は熱く語る。その思いは受験生に届いただろうか。