藤原道長の甥、藤原伊周とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「じっとしていれば権力を握るチャンスはあったのに、彰子の皇子出産に焦って暴走し、自滅した。その生き方は子どもたちの人生にも大きな影響を与えた」という――。
NHK大河で描かれた伊周と焦る親類たち
藤原伊周(三浦翔平)の屋敷で、「このままでは敦康親王様は、左大臣に追いやられてしまいます。どうなさるのです?」と、女性が伊周に問いかけた。この女性は伊周の母、高階貴子(板谷由夏)の妹の高階光子(兵藤公美)である。NHK大河ドラマ「光る君へ」の第37回「波紋」(9月29日放送)。
伊周はこう答えた。「叔母上、敦康様は帝の第一の皇子。なにより皇后定子様がお残しになったただ1人の皇子にあらせられます。帝のお気持ちが揺らぐことはありえませぬ」。だが、伊周の義理の兄である源方理(阿部翔平)は納得せず、「しかし、最近では帝も左大臣様にはお逆らいにはなれぬと聞いております」と反論する。
方理の妹である伊周の妻、源幾子(松田るか)は「兄上、余計な心配はなさいますな。帝の御計らいで、殿の位ももとに戻されているのですから、いまはお静かに」といさめた。伊周も「幾子の申すとおりである。ことを急いては過ちを犯す」と答えたが、納得しない光子は「されど、このままじっとしてはおられませぬ」と、声を荒らげた。
伊周はため息をつき、「わかりましたゆえ、もうお黙りを」と返答。場面が変わると、叔母たちに促されたということか、伊周が道長を必死に呪詛するシーンが流された。
続いて、彰子の後宮に賊が侵入したが、背後に伊周がいるという設定だろうか。
じっとしていれば、脈があったのに…
しかし、年が明けて寛弘6年(1009)になると、一条天皇(塩野瑛久)は伊周に、叔父の道長(柄本佑)と同じ正二位を授けた。拝命した際、伊周は横にいる左大臣道長にも目線を送りながら、一条にこう述べた。「私は第一の皇子におわす敦康親王様の後見。左大臣様は第二の皇子、敦成親王様の御後見であられます。どうかくれぐれも良しなにお願い申し上げます」。