本書の冒頭に登場する鈴木さんは、まだ二十代後半の駆け出しだ。三十路前の若い記者の、このいびつなまでの屈折と諦観は、年代の近い私にはよく理解ができる。世の中の器はまだ全て戦後の昭和の形を引き継いでいた。その中で、物語もスターも経済成長もピークアウトしてひたすら下降を続ける最中に社会人生活が始まった。この先、自分たちが切り開けるものなんかあるのかね、というシニシズムを抱えながら、なぜかペンを握り、重たい鞄を持って現場に向かう。重たい鞄の中身が役に立つことなど実際にはほとんどない。前時代性と非効率の象徴のようなものだと知っているのに、その重みを手放すことができないのだ。
若い日の鈴木さんが、誰にも援護されず、評価もされず(多少の自虐もあるのだろうが)、沼の泥を掻くようにしながら名古屋と東京の行き来を繰り返す中で、落合監督との距離をジリジリと詰め、またその現場に立った選手やスタッフの重い口を開かせて「落合という人は何を見ているのか」を紐解いていく道程は、まるで天候不良の登山のような苦しさだ。いや、山を登っているのか、谷に下っていっているのかもよくわからない。けれどおそらく鈴木さんも、どこかで分かっていたのではないか。自分自身の抱く鬱屈や、社内や記者仲間のどこにも属せないような孤立感こそが、落合博満という天才だが決してエリートではない異端の人の胸を唯一こじ開ける杖であるということを。「お前、ひとりか?」といってタクシーに乗せる場面がある。おこがましいが、私にはそう声をかけた落合さんの気持ちはわかる気がする。自分自身に疑いも持っていないような人間に、幾千もの問いかけに心を削られてきた人が言葉を喋るものか、と思うからだ。
私は広島県の出身だが、落合さんがドラゴンズの監督在任期間中(2004~2011)の地元広島東洋カープはどん底の低迷期だった。東京に暮らしていても、周囲にカープの戦いぶりに注目する人などはおらず、このまま永久にAクラス入りすることなくカープはどこかへ身売りするか自分は死ぬのだろうとさえ思っていた。
一方落合ドラゴンズはそつがなく、ド派手なスター選手や強さの印象はないのに、寡黙に勝ちをもぎ取っていた。現役時代の落合さんといえば、他の人と歩調を合わさない独立自尊のリアリストでありながら、常にニタニタと緩んだ笑みを浮かべて、場の空気にも流されずあっけらかんとホームランを放つユニークな魅力に溢れた人と記憶していたが、監督になって以後、かつての鷹揚な笑みは、温度を失った冷笑に見えるようになった。人の喜ぶところや泣くところに反応しない達観的な表情と采配は、激情型の星野監督時代の記憶とのコントラストも相まって、お世辞にも愛されているようには見えなかった。天才として生まれついた人には、不出来な者の気持ちはわからないというが、腕組みをして気だるそうにベンチに体を預けたその姿を見ると、落合さんほど野球勘のない選手――つまりそこにいる全員が「お話にならない凡人」に見えているのではないかと思え、ビジター目線からでさえ薄寒さを感じていたものだ。あんな冷たい野球をしてまで勝ってもらわなくていい、と思うのは、万年Bクラスのチームのファンの負け惜しみかと捉えていたが、本書を読んで、まさかここまでとは、と幾度も唖然とした。