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「嫌われた」という表現は誇張でも逆説的なものでもないようだった。ここで読める限りでは落合さんが選手の人格を尊重して言葉を尽くすようなことはほとんどなく、冷徹な決断や解雇、情報漏れの監視や無情な定点観測のさまが具体的に炙り出されていく。選手を、人間を、ただの駒と見ている、と言われても仕方がないだろう。

 選手生命の瀬戸際に立たされた投手や、期待を寄せられつつもレギュラーを取れないままハングリー精神を見失っていた中堅野手、日本シリーズ初の完全試合達成目前で降板させられる投手、球界一といわれた鉄壁の二遊間をコンバートされる守備の名手たち。誰一人、指揮官の意図について説明されないまま、問答無用の采配に翻弄され、同時に中日ドラゴンズ球団史上もっとも負けないチームを形成していった。恐ろしく厳しく、また恐ろしく殺風景な勝利街道である。

©文藝春秋

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 絶対的なチームの功労者と言われていたサード・立浪選手の三遊間を抜けていく打球が年々増えている、という呟きを著者が捉えた時は、身ぶるいがした。指揮官とは、ここまで見えているものなのか、という驚きと、ここまで見えてしまう目を持って生まれた人の宿命に対して。本人の中にも、そんな目を持っているのは自分くらいだ、という確信もあったのだろう。だから、誰もが見過ごしている選手の潜在能力や練習量を見逃さず、人気や実績や人望のあるレギュラーを降ろしてでも、チャンスを与えた。落合さんこそが、誰よりもフェアだったとも言えるが、ファンと地域と選手との情の濃く絡みつく日本のプロ野球という村の中において、本当の意味でフェアになるのは極めて難しいことではないかとも思う。多くの人から愛されたり、華があったり、他者と濃い結束を作ることができるのもまた、望んでも叶わない天賦の才の一つだ。強い光を浴びる存在になっても、そこの輪から外れる人間に対してのフラットな眼差しがあったとも言える。愛されなくてもいいじゃないか。それがなくても生きていく術を研ぎ澄ませば、お前は存在できる――そんなものを人は、温情とか優しさとは呼ばないだろうが。結局「嫌われることを辞さない」というところに行きつかない限りは、自らの目に嘘をつくことに陥る。自らがもっとも大切にしてきた世界で、不誠実に生きるかどうかということだ。