――いっぽうで、岡田さんも「婦人女性誌の表紙を最も多く飾った女性」に3年連続で選出されるなど、カリスマ主婦としても注目を集めました。
岡田 上の子が小学校に入ったくらいですね。ある日、週刊誌に「カリスマ主婦」って書いてあって、主婦にカリスマかぁ、そういう言い方があるんだって思いました。ただ、カリスマの言葉にギャップはありましたよ。
当時、撮影ではスタイリストさんが用意してくださる全身フェラガモやシャネルを着ていましたが、実際はデニムを履いて子どもを自転車の前と後ろに乗せながら幼稚園の送り迎えをしていたし、テラスで頂く紅茶とスコーンは好きでしたが(笑)、普段はそこまで食べているわけでもなく。雑誌が全盛期だった時代なので、「こんな素敵なお庭でバーベキュー」とか、ゴージャスに写すことが多かったのかな。
ただ、基本的には専業主婦のつもりでいたので、雑誌の撮影もヘアメイクをやって頂いて撮ってもらったら帰れるじゃないですか。ですから言い方は全く合ってないですけどパートに出ているような感じだったと思います。
憧れていた家族団らんとは程遠い生活、さらに流産が重なり…
――二人のお子さんに恵まれて日々過ごされていく中で、夫婦の形も少しずつ変化していったとか。
岡田 私の生育歴にも関わってくると思いますが、私が学生時代、父のお酒の量が増えて暴言や暴力がひどく、手が付けられない時期があったんです。父が暴れるのは2カ月おき。ちょうど中間試験や期末試験のタイミングで暴れていたから覚えていて。母は私が16歳のときに離婚して家を出ていきました。
ですから、結婚生活は誰よりも温かい家庭に憧れていたし期待も強かったのかな。それが食べてくれる人が帰って来ない。1カ月に1回くらいしか家族そろってご飯を食べる時間がなかったので、今日は帰ってくるってわかったら料理も頑張り過ぎちゃって。でも彼はほとんど喋れないくらい疲れて帰ってくる。あれだけ多忙だから理解できるし、他に嫌なことがあったわけじゃないんです。でも、当時の私は家族団らんみたいなものを夢見ちゃっていたから、寂しさが募ると「もっと早く帰って来て家でご飯食べて」って泣きながら訴えてましたね。私が泣くと、年末あたりに箱根や強羅なんかに家族を連れていってくれて。みんなでまた新しい年を迎えよう!となって、毎年その繰り返しでした。
あと、3人目の子どもを妊娠4カ月、もう安定期に入るタイミングで流産してしまったことも自分の中では大きな出来事でした。