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離婚後も良い関係で、今も変わらず感謝も気持ちも伝えたい

――その後、2001年に離婚されましたが、お父様の言動を堺さんに重ねてしまうことはありましたか?

岡田 それはないです。父に感じたような恐怖心は全くないですが、緊張することはありましたよ。でも、それって芸能界にいる皆さんが、彼が入って来たときに緊張するのと同じような感じで、夫婦なのに緊張する感じ。彼は年齢も15歳上だったし絶大な尊敬というか。あまりにも立派だったから夫婦だけど敬語で話していました。

 あと、離婚した今もみんなでご飯を食べることがあるんですけど、子どもたちが「ママは結婚している時からパパと何喋っていいかわからなかった感じがした」って言われましたね。

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 それに加えて、私にはメンタルの病気があったから申し訳なかったなと思います。私に病気さえなければうまくやっていたかもしれないし、私じゃなかったらこんな風にならなかったのかなとか。

――離婚の記者会見も話題になりました。「お届けものが多すぎて大変」といった言葉だけが特に際立ってしまったのでしょうか?

岡田 お届けものとか、そんなことだけで離婚するわけないじゃないですか。芸能界において揺るぎないポジションにいる彼から抜け出す私は、世間から叩かれることは覚悟していましたし、あの記者会見でたくさんの報道陣が集まっている様子をみてプチッと切れたんですよ。ほんとに頭の中でプチッて音がして、その瞬間スイッチが入っちゃったんだと思います。会見で話し始めたらどんどん加速しちゃって、自分じゃない人が喋ってるような感じでした。

 離婚後は変わらずいい父親でいてくれましたし、娘たちも結婚して時が経ったんだなと思います。今も変わらず感謝も気持ちも伝えたいですね。

 

写真=山元茂樹/文藝春秋