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――ところで岡田さんはアトリエ教室や紅茶専門店、のちに山梨でジャム工房など次々に起業されています。一番初めに起業されたのは下のお子さんが幼稚園児のときだったそうですね。

岡田 当時、雑誌の撮影をたくさんしていて、撮影がある日は住み込みのお手伝いさんが子どもの送り迎えをしてくれたんです。でも、子どもが「ママ、今日はどこのスタジオ?」って不安そうな顔で聞いてきて、幼稚園児なりに今日はママがいないってわかるんですよね。その顔を見ていたら、この子のために働き方を変えなきゃいけない。どこにいるのかわからないんじゃなくて、「ママはここでお仕事してるのよ」って安心させてあげなくちゃいけないと思って、雑誌の表紙もぜんぶ辞めて、お料理教室を開くことにしました。これなら時間通りに終われるし、自分でお迎えにも行けるじゃないですか。ただ、ひっそりやろうと思っていたら、自分がそこまで認識していなかったんですけど、当時カリスマ主婦と呼ばれていたので、申し込み初日で4年後まで予約が埋まっちゃってすごい誤算!え?私4年後まで働かないとダメなの?となっちゃったんですけど。

――お子さんたちと過ごす時間も確保しつつ。

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岡田 お仕事が増えていくと地方に行くことも時々あって、家を空けてしまう日もありました。展示会にお母さんと娘さんが一緒に来る姿を見ると、私もこんな風に親子で買い物に行きたいなって羨ましく思ったことはありましたね。でも、逆にほどよく放任というか、お母さんが家に居ない時間に子どもたちの友達もワンサカきていたので、あんまり寂しいと思ったことはないんじゃないかな。子どもの友達もみんな私のことが大好きで「みり!」って呼び捨てにされるくらい(笑)、みんなで仲良くしてましたよ。

 

「今までいろいろ経験できたことは財産だと思っています」

――お仕事もプライベートも常に充実されている印象があります。

岡田 アップダウンもありながら、結局いつもうまくいってるような気はします。子どもたちも私が大変なときもみているから、協力的ですし。いつも動いてるし、常になにかやってる人って思ってるんじゃないですかね。

 ふりかえるとずっとジェットコースターのような人生でした。我ながら感受性がより豊かになって、ふとしたことでも涙腺が緩んでしまうこともあります(笑)。たとえば歌を聞いても涙ぐむこともありますよ。今演歌の番組の司会をさせていただいていますが、今までいろいろ経験できたことは財産だと思っています。

写真=山元茂樹/文藝春秋