「袴田の再収監は無いが、死刑囚のままである」
「『自分の命を狙う者がいるから、見張りに行かないとそいつらが出て来るから行くんだ』と怖い顔して同じルートを歩いていました。半年くらいで『あそこは終わった』と言って道を変えられるんです。そして私たちが付き添っているとパンや飲み物をご馳走してくれるんです」
袴田はボクサー時代の記憶があり、よくロードワークで走った馬込川の方をてくてくと昇って行った。そのルーティンは知られたこととなり、浜松市民も時折、市中で困った表情の袴田を見かけると、巌さんがこの地点で道に迷っているよと電話をくれたりした。
2017年7月13日。一人で歩いていた袴田は自宅そばの石段から転げ落ちた。それを見た通行人が救急車を呼んでくれた。以降、猪野は袴田の町歩きに同行するメンバーを募り、通称「見守り隊」を組織してサポートに入った。シフトを組んですでに4年間続けている。
支援の輪は地元のみならず、全国に広がったが、東京高裁は2018年6月にまたも再審を認めない決定を下した。袴田の再収監は無いが、死刑囚のままである(2020年12月最高裁は審理差し戻しを決定)。
「看守が来た」と飛び出し、追いかけると…
直後、坂本は袴田を訪ねた。秀子は「巌、今日は刑務官だった坂本さんが来られたよ」と告げた。しかし、あれだけ熱い交流をかわした坂本に対する記憶は現在は無い。「俺は町に行かないといけない」と言って袴田は表に飛び出した。看守が来た、また連れ戻されるという危機感が全身を覆ったのである。
追いかけていった坂本はやさしく声をかけた。どうやら自分に危険を及ぼす人物ではないと気が付いた袴田はそばにあった自販機でトマトジュースを買って口にした。
「巌はトマトが大嫌いなんですよ。だから、どれだけ気が動転していたか、それで分かりました。
お姉さん、今まで大変でしたねとよく言われるけど、私は私なりに生きて来た。死刑囚の姉ということで、世間とは距離を置かれてきたけど、巌は48年も苦労していた。だから、もうクダクダいうよりも好きにやらせてやるんだ」
快活に語る秀子の横で坂本は言った。
「私は袴田さんと初めてお会いしたときに、冤罪は存在するのだと考えをあらためました。人相から発するオーラが違ったし、立ち振る舞いも。何よりもメチャクチャな拷問で無理やり書かせた供述以外に何も出て来ないじゃないですか。ねつ造した証拠なんて、卑劣なことまでして死刑を確定させるなんて官による殺人ですよ。それ以来、私は検察庁が大嫌いになりました。私は46歳で刑務官を辞めるんですが、それには袴田さんの影響がありました」
半世紀以上が経った今も未だ全貌が見えない「袴田事件」。全ての真実が明らかになる日は来るのだろうか。