「これはまずいことになるのではないか」
しかし、刑務所、拘置所の実態を知る坂本は絶句した。
「拘置所側からの対応が一気に悪くなったことが、それで腑に落ちました。日弁連がついたことで袴田さんは、東京拘置所にとって極めて面倒な煙たい存在として認識されてしまったのですよ。これはまずいことになるのではないか。私は自分の立場を考えて迷いましたが、やはり大事なことを伝えることにしました」
坂本は袴田の顔を凝視した。「今から話すことは拘置所の内部における情報です。絶対に手紙や日記に書かないで下さい。もちろん誰にも他言しないで下さい」と念を押した。
袴田は「はい。もちろん事務官のお立場は分かっています」と答えた。
「ではお話をします。拘置所は法務省の管轄です。法を司る役所ですから、本来であれば、収容されている囚人の人権を公正に尊重する立場になくてはなりません。当然のことです」
続いて、坂本は長い刑務官生活から骨身に染みて感じていたその拘置所の体質を袴田に踏み込んで伝えた。
「喜んでいる刑務官は、この拘置所にはほとんどいません」
「しかし、実際は法務省の主要ポストのほとんどは検察官に占められています。検察官の役所ですから、冤罪なんてありえないという幹部と現場は乖離しています。さらに日弁連がバックについた袴田巌に甘くすると幹部たちは自分の出世があやうくなるのを知っています。
つまり、拘置所に公正は無く、有罪判決を求め勝ち取った検察の意向を代弁するような構造になっています。検察に対して裁判で戦うことになる弁護士は、拘置所にとっても敵なのです。
だから袴田さんが日弁連の支援を受けることになって、喜んでいる刑務官は、残念ながら、この拘置所にはほとんどいません。あなたの無罪を信じてくれている人たちだけです。少なくともここの管理職は全員が日弁連を敵視している、つまりはあなたも敵視していると思って下さい」
坂本は最後に変化の事実を述べることで、袴田に注意を促した。「私とあなたとの面接は去年まではクーラー付きの会議室で行っていましたよね。しかし、日弁連が支援を表明した今年はエアコンの無いこの取調室に変わった。そして担当は私にあなたに面接をさせないとまで言い切ったのです」。
「冤罪は存在しない」と思い込める理由
袴田はじっと聞いていた。拘置所にとって自分は敵になったという。これまでの処遇の変化で思い当たる節があるのは顔をみれば分かった。坂本は自分の体験から訴え続けた。
「日弁連の弁護士とのやりとりは絶対に文書にしてはいけません。必ず送る手紙も届けられる手紙も両方とも検察に通知されますから、何かを伝えたいことがあるときは必ず面会にして下さい。弁護人との面会には刑務官は立ち会うことができません」