大山のぶ代さんが9月29日、老衰のため90歳で亡くなったことがわかった。生前は、おしどり夫婦として知られた、大山さんとパートナーの砂川啓介さん(2017年逝去)。2人はどんな人生を送ったのか?
大山さんの認知症に悩む砂川さんが、あるラジオ番組によって救われたときのエピソードを、著書『娘になった妻、のぶ代へ』(双葉社)より、一部抜粋して紹介します。
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ラジオでの告白
2015年5月13日の生放送当日、僕はやはり少々緊張していた。
きっと、「早く公表してホッとしたい」という気持ちと、「世間が、どう受け取るのだろうか?」という不安が入り混じっていたからだろう。
そんな僕の心境を察したのか、パーソナリティーを務める大沢悠里さんは、上手に話を引き出してくれた。おかげで、僕のカミさんへの思いや、認知症をなぜ公表したのか、その意図するところが、きちんとリスナーに伝わったのではないかと思う。
放送中もスタジオに続々と届くリスナーからのファクス。「すごい反響ですよ!」というプロデューサーの声に、僕自身も驚いていた。
正直なところ、これほどの反響があるとは想定していなかったのだ。
何より嬉しかったのは、同じように認知症患者の介護を経験したり、今も介護にあたっている人からのメッセージだ。
「砂川さんが公表してくれたことで、私も勇気が出ました」
「なかなか人に言えないことだけに、公表してくれて心強いです」
「涙が出ました……。介護倒れしないように、砂川さんも気をつけてくださいね」
僕と同じように、手探りの状態で“老老介護”を続けている人が、世の中にはたくさんいる――。
身をもってそう感じ、かえって僕のほうこそ、認知症の患者を抱える全国のご家族の方々から、たくさん勇気をもらったと思っている。
非難されることも覚悟はしていたが、その後も僕のところには、バッシングや批判的な意見は一つも届いていない。
番組には、マムシも駆けつけてくれた。
「なぁ、啓介。お前、今日しゃべって楽になっただろう? お前が元気でいることが一番大事なんだからな」
その言葉に、僕は大きく頷いていた。
放送後の反響は凄まじく、ありとあらゆる新聞社、雑誌社からの取材が殺到。対応しきれなくなったので、会見を開かざるを得ない事態になったほどだ。
大親友・黒柳徹子のファックス
もちろん、芸能界の知人たちからも続々と連絡をいただいている。
のび太役を演じていた小原乃梨子さんからは、手紙と、僕が大好きな焼酎「百年の孤独」を送っていただいた。手紙には、カミさんの体調を気遣うとともに、僕に対する温かな激励の言葉が綴られていた。実は、小原さん自身も身内の介護経験があるのだという。だから、カミさんの介護に取り組んでいる僕を、自分のことのように案じてくれたのだろう。
カミさんにとって50年来の大親友で、互いを「チャック」「ペコ」と呼び合う黒柳徹子さんからもメッセージをいただいた。
それまで黒柳さんとカミさんはよく、家にあるファクスで連絡を取り合っていたのだが、公表後、黒柳さんからは珍しく僕宛にファクスが送られてきたのだ。