今オイラが連載している自伝漫画『そしてボクは外道マンになる』で主人公伸二の初代担当権藤狂児のモデルが本書の著者の後藤広喜氏です。漫画の中の権藤さんは背中に木刀を仕込み、伸二を奮起させる為に鉄拳制裁をしたり木刀で脅したりします。漫画なので盛ってる所が多々あるのですが、オイラがヘタな書評を書こうものなら鉄拳制裁されそうでチョット恐いです(笑)。でも若い時にオイラの漫画ネームを散々叱られた身からすれば不思議な気分です。今度は逆の立場でオイラが後藤さんの本を書評するんだから(笑)。
さて本書では「少年ジャンプ」創刊号から後藤さんが編集長をされていた間までのヒット漫画群を解説されていますが……。それを一作一作吟味してたらとても紙数が足りません。なので二つの事柄に関して書かせてもらいます。
まずは何故後藤さんがこの本を書こうと思ったのか!? ――それはある会議の席上で某役員が「少年ジャンプの六〇〇万部以上の発行数は、バブルの産物である」と発言し「少年ジャンプをなめるんじゃない」と血が逆流する程の思いが呼び水になったと書かれています。我々漫画家は毎週毎週必死の思いで原稿を仕上げ、担当編集とともに何とかアンケート上位に喰い込もうと努力します。
その結果として漫画史上最高の発行部数に到達したのであり、ただのバブル扱いされたのでは漫画家も編集者もたまりません。オイラがその場にいたらその役員をスポークで突き刺してやりたいぐらいです(笑)。その漫画家の情熱と作品に対する愛情と執念を各ヒット漫画ごとに解説してあり、懐しい想いで読ませてもらいました。それはこの本を読んだ他の漫画家さん達も同じだと思います。それがもう一つの事柄に繋がるのですが……。
後藤さんはこの本を誰に読んでもらいたいのかと自問した時「四人の創刊編集メンバー」と「多くの連載漫画家」だったと書いています。私の個人的な事を書かせてもらえば、後藤さんが新人から育てた漫画家は『アストロ球団』の中島徳博先生が長男で私は次男坊になります。『アストロ球団』の解説では後藤さんと中島さんの狂気じみた作品創りが毎週続き、とうとう中島さんの体が悲鳴を上げ、頭にコブ状の凹凸ができ、ペンを持つ手がグローブの様に腫れ上がったとあり、さすがの後藤さんも追いつめ過ぎたと懺悔しています。この『「少年ジャンプ」黄金のキセキ』、後藤さんは本当は四年前に亡くなられた中島さんに一番読んでもらいたかったのでは!?
ごとうひろき/1945年山形県生まれ。70年集英社に入社し、「週刊少年ジャンプ」に配属される。初の生え抜き同誌編集長(86年〜93年)として、同誌が驚異の記録653万部(94年)を打ち立てる礎を築いた。その後集英社取締役、関連会社代表取締役等を歴任。
ひらまつしんじ/1955年岡山県生まれ。漫画家。代表作多数。近作に『そしてボクは外道マンになる』(集英社・連載中)など。