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「ここはね、前の会社を辞めたとき、職業安定所でこんなところがあるから、行ってみないかと紹介されて入ったんです。いやぁ、(会社を)変わって良かった。これまで東は東京、西は鹿児島と、1週間に2回も長距離を走って、いい加減にせんと目をやられるぞと言われてましたからね。前の会社は夜も仕事です。50も過ぎて、家族から辞めなさいと言われて、いつまでもやっておられんと思ってました」

 利浩さんは、「小山のおうち」を新たに就職した会社だと思い込んでいるのだ。利浩さんの「作話」かもしれない。

アルツハイマー病患者はなぜ「作話」をするのか?

 作話(さくわ)はアルツハイマー病によくあることで、記憶障害によって覚えていないことを補うための「取り繕い反応」とされている。このデイケア施設に来た経緯を問われた利浩さんは、記憶障害のせいで近時の出来事は覚えていないから、問われても自分で今の事情を説明できない。そのために、かつて働いていた運送会社を退職したことと、今いる「小山のおうち」を結び付けて、新しい会社に再就職したという物語を創ったのかもしれない。高橋院長は「いきなり『あなたはボケていますね』と言われて、『はい、私はボケました』と言う人はいない」と言ったが、それと同じで、困ったときに自分を取り繕うのは普通の感覚であり、利浩さんの作話もそうではないか。むしろこんな物語を創作する力に脱帽する。

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 ついでながら、要介護認定調査に使われる「認定調査票」には、「問題行動」のチェック欄に「物盗られ妄想」「昼夜逆転」「感情の不安定」「大声を出す」などと一緒に「作話」も並んでいる。介護保険は介護を受ける本人(認知症の人など)のためにあるのではなく、家族の介護負担を軽くするためだから、作話など家族を困らせる行為は「問題行動」であるという解釈なのだろうか。

 物忘れについて利浩さんにたずねると、ガッハッハッと笑い、「今週は何をしちょったか、その前は何をしちょったかと言われても、出てこんだわ」と、あっけらかんと言ったあとこう続けた。

「はぁ、物忘れは激しくなってたんやないかと思います。だども、とやかく言われるもんではないわな。みんな物忘れするもんだわ。言うからムカッとする。家内も言うもんで口ごたえするが、最後はわしの方が謝るな。あれには今も感謝しちょるけん」

 このときの利浩さんとのやりとりを月刊「文藝春秋」(2015年8月号)で紹介したのだが、それを妻の光子さんが読んだらしく、何かが彼女を変えたらしい。

 当初、光子さんは高橋さんからこんなアドバイスを受けていたという。

「言葉が出なくなったとき、あなたが言い返したりすると必ず手が出ますよ。そうならないためには、ご主人の言うことを否定せず、感謝を欠かさないように。挨拶のつもりでいいから『お父さん、ありがとう』と言ってください」

 しかし光子さんは、そのアドバイスをあまり気に留めなかったのだろう。手記に「家内とたびたび口論になる」とあることでもそれがうかがえる。でも賢明な光子さんは、雑誌記事のわずかな文字から、利浩さんの思いと高橋さんの言葉の意味をくみ取ったらしい。それ以来、利浩さんへの接し方をガラッと変えて、二度と言い返さなかったそうだ。

新刊『認知症は病気ではない』(文春新書)

「間違ったことを言っても『ほんとかね、それはよかったねぇ』と受け入れました。とにかく否定しない。それはいつも頭に入れていました。幻覚もあったようで、ぐっすり寝とったと思ったらいきなり起きて『隣にトラックを置かしてもらってあるけん、動かさないけん』と言うんです。そういうときも『私が動かしてあげるけん、安心して』と納得させました。もちろん私は大型なんか運転できませんよ。

 主人はよく『忘れていけん』とこぼしましたが、そんなときは私が、『二人で一人前だと思えばいいがね。私がちゃんと覚えてるけん、大丈夫よ』と言うと、『そげか、ほんならいいわい』とニコニコしてるんです」

 それ以来、利浩さんは怒ることがなかったという。

認知症は病気ではない (文春新書 1473)

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奥野 修司

文藝春秋

2024年10月18日 発売